事務室の鍾声~学校事務職員の発信実践

伊藤拓也 全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)・川崎支部で学校事務労働運動に参加 川崎市立学校事務職員 Twitter→@it_zgrr

学校徴収金事務と学校事務職員~「雑」な発想で増やされる仕事とその先

中教審が学校徴収金事務について、「学校以外が担うべきだけど学校がやらざるを得ない場合は事務職員に」という逃げ道前提のふざけた答申を出してから3年。

文科省が学校徴収金事務について、学校がやらざるを得ない場合をあらかじめ想定して事務職員の職務に明文化したふざけた標準職務通知を出してから2年。

 

その毒は確実に回っている。

 

今年度、川崎の学校現場では、事務職員への校務分掌増の打診が相次いだようだ。私の耳にも何件も入ってきているが、当然それは氷山の一角だろう。

そもそもそうした話が何件も入ってくるなど、少し前までは考えられなかった。

 

徴収金事務をやっていなければ徴収金事務が。

徴収金事務をやっていればさらに別の業務が。

 

そんな具合。

これなら結局、徴収金事務やってようがやってまいが、結局とにかく事務職員はもっと仕事しろといじめられる構図だということ。

 

ところで徴収金事務については、3月にこんなツイートをした。

 

 

教員の中には気を悪くする方もいるかもしれないが。

 

そもそも学校徴収金の問題というのは、教員が自身の教育活動の展開において公費を超えて児童生徒に財政負担を求める構図に、教員がどれだけ主体的意識を持っているか、という問題だと思っている。

 

その点で単なる会計事務だと扱うのは不適切だし、単なる会計事務だから事務職員がやれよ、としてしまうとますますそうした意識を持てなくなる。

教員は、児童生徒から供与され事務職員が徴収管理するカネの、単なる消費者の意識に堕ちてしまう。

 

今現在、私は職場で心ならずも学校徴収金徴収事務に関与していて、なんなら1年前にあった金融機関システムの改変に際して、そのシステム対応に環境上一番対応できそうな立場であったという不幸から、新システムに応じた補助ファイルから一連の業務プロセスのマニュアル作りまでやったりもした。

のだが、あくまで学校徴収金担当の主任は教員だし実務も教員が担ってね、と考えているし、幸いにして当校の主任である教員はそうしてくれている。

(そのために頑張ってマニュアル作りに精を出したというところも…)

 

で、上記は「徴収」の話。

徴収した後は各学年の口座に振り分けるのだけど、そのあとの管理・予算立案・執行・決算報告は当然各学年の業務だろですよね、それ以外に何なんだ、という思いだが。

 

先に挙げたツイートは、その学年会計管理さえ事務職員がやれという話がしきりに出ている話。

そして、各学年会計管理に手を出して悦に入っている事務職員がいるようだ、とも。

 

さすがにいい加減にしてほしい。

 

前のツイートの最後で「お小遣い帳」という挑発的な表現を敢えて使ったのは、次のツイートにつながっている。

 

 

このツイートに、事務職員の方々から反響をいただいた。

 

(以下文意を損なわず一部改変)
”そうなんです。それができないなら教員の仕事云々じゃないという話がしたいのですが…“

”「日々の、積み重ね」が、難しいくらいの忙しさ…?”

”この間聞かれたこと。「お金のプロに教えてほしいんですが、帳簿の額が合わないのはどこをどうしたらいいですか?」。それはどこかをどうにかして合わせるものではない。後から合わせようという発想がおかしい。あと、事務職員はお金のプロではない”

”教員は学校事務職員=会計のプロと認識しているようだが、真実は採用後、誰からも仕事を教えてもらえない。教員のように新採指導がいない。そのため、全て独学。もちろん会計の専門知識はない“

私も採用1年を過ぎた頃、当時の校長に「お金のことは事務職員に」的な理由で徴収金事務を投げられそうになったことがあった(断った)。

受ける断るは別にしても「お金のことは事務職員に」なんて発想はそもそも、学校事務職員が置かれている実情を踏まえない、印象論だけの非常に雑な発想なのだ。

そんなことを口走る校長なんて信用ならないし、文科省教育委員会は無責任極まりない。

 

雑な発想で仕事を増やされてはたまらない。

雑な発想で増やされた仕事を担ってもなんの意味もない。

そのあとさらに雑な発想でまた新しい仕事を増やされるだけだ。

その先に高みなどない。それは「向上」などではない。