事務室の鍾声~学校事務職員の発信実践

伊藤拓也 全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)・川崎支部で学校事務労働運動に参加 川崎市立学校事務職員 Twitter→@it_zgrr

「外部支援」の分析・消化ができない学校現場:《「片づけから始める働き方改革」から始まる事務室の環境悪化》のその後

おかげさまで、骨折した肘の固定は昨日外れました。

でも、しばらくはリハビリに通わなければいけません。

肘はまだ曲げ伸ばしに支障があります。重い物も持てませんし体を支えるのは怖いです。

 

さてそれはさておき。

前々回、こんな投稿をした。

 

it-zgrr.hatenablog.com

要約すれば、「学校片づけアドバイザー」の元教員がある小学校に赴き「コピー機を職員室に入れたい」という要望を叶えるべく見出したスペースにあった視聴覚機器棚を事務室に移動させた、という業界雑誌の記事に対して、《多数の利益のために少数職種に犠牲を強いるあり方が外部の手をもって天真爛漫に遂行され、しかもそれが能天気に「片づけから始める働き方改革」などと銘打たれる》傾向を批判したものだ。

 

ただこの件ではもうひとつ。

「そもそもなぜ職員室の模様替え程度のことに、アドバイザーを招く必要があったのか」という疑問を抱いた。

数十人の各々様々な経験を有する大人たちがいる職場において、なぜ「模様替え程度のこと」を自前で計画・遂行できなかったのか。私には不思議だった。

もしかするとそれを探ることで、いまの学校現場やそこで働く教職員たちの置かれた状況が見えてくるのではないか。そう思った。

 

そんな思いがあり、この件で横浜市教育委員会に文書開示請求をしてみた。

今回、その結果が届いたので報告だ。

 

まず、開示・非開示通知。

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残念ながら一番知りたかった、お招きすることになった経緯を示す文書は、存在が確認できないとして手にすることはできなかった。

開示されたのは、招いたうえでのくだんのアドバイザーがまとめたと思しき資料であった。

 

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どうでもいいことだが「プロジェクトチームの名前を付ける」というくだりに、(私は馴染めない)学校文化のにおいを強く感じた。

掲げられている「目標」や「具体的取り組み」は、もちろん必要なことではあるが、わざわざアドバイザーの手が必要な水準とは感じられない。ただの不要物廃棄と模様替えですよね、と。

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使ってないシュレッダーをなんで今まで職員室に置いといてたんだよ…。

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f:id:it_zgrr:20220220221636j:plain通路のためにシュレッダーを事務室へ移動。邪魔なものを事務室に押し付けたのは、棚だけではなかったのか。

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前に、「事務室の片づけ」として「職員室との連携により適切な配置にする」との記述があったが、どうやらその内容は通路を狭めるシュレッダーや「先生方が使うモノ」を置き、さらに「ちょっとした作業・打ち合わせスペース」を事務室内につくることだったようだ。

事務室を何だと思っているのだろうか。

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「教育環境整備代」としての謝礼金を支出できる予算科目が横浜にはあるのか。

興味深い。

 

開示資料は以上。

 

冒頭述べた「いまの学校現場やそこで働く教職員たちの置かれた状況が見えてくるのではないか」という点について、確信的な認識を得るには至らなかった。

「整理整頓アドバイス」の中身も、やはり「不要物廃棄と模様替え」でしかなかった。

「教職員の意識を高めるための職員室でのセミナー」の中身が出色だったのかもしれないが、それに関する資料が開示されなかったということは、講師によるレジュメや資料も、セミナー受講側による概要まとめも作成されなかったということだろう。

 

ことによると、「いまの学校現場やそこで働く教職員たちの置かれた状況」を雄弁に語っているのかもしれない。

学校現場を支援する動きとして、外部の支援の重要性が語られている。しかし、それらの意義や効果を分析し、あるいはそれを消化する体力さえ、もはやないのかもしれない。

普通に考えれば、外部の支援を仰がねばならないような水準でもないし、有意義と言える支援水準でもない。

でも、検査機能なき「働き方改革」のもとでそんなものが通ってしまい、あまつさえ業界雑誌でアピールのタネにされる学校。

これもまた、学校現場の悲惨な実態というべきだろうか。