「学校事務クロニクル」感想:内容個々に賛否はあれど大いに刺激を受ける
「その立場にいて今頃かよ」とバカにされても仕方がないのだけど、「学校事務クロニクル 事務職員の過去・現在・未来」(中村文夫著・学事出版)をようやく読了した。ずいぶん前に購入はしていたのだけれど、初期に一度つまずいてからなんやかんやあってしばらく止まってしまったため、今になってしまったところだ。
簡単に感想を書こうと思うのだが、その前にひとつ、念のため断っておきたいことがある。
著者の中村文夫氏はかつて、私が現在所属する全学労連の中心メンバーであった。しかし、全学労連が独自組織で行くか自治労に行くかをめぐり分裂した際に自治労に行き、いわば私たちの組織と袂を分かつこととなった方だ。(と認識している)
そうした関係性のなかで著書について感想を述べるとなると、いろいろ邪推が生じる余地があるように思うのだが、断っておきたいことはそこである。
私自身は2010年に学校事務職員になり、同年に全学労連に関わりを持った身。その時点で上記の分裂から10年以上経っていて、その具体的な経緯を知るところではなく、またその経緯に係る当時の情勢からも大きく変わった状況下で、現在の立場にある。
私自身は中村氏について、月刊「学校事務」での連載やインターネット上に見られる文章は拝読しているけれど直接の面識は一切なくて、だいたい自身が所属する団体と分かれた人だからそれをもってどうこう、というのは、ない。
というわけで、そもそもこれから書く感想はあくまで個人的なものだけど、そこにパーソナルバイアスはないよ、というお話。
さて本題。
全般的に言えば、同意するところも同意しかねるところも多々ある本だった。それだけ、多くの示唆を提示してもらえた本だと言える。
ただ先に批判を書けば、「クロニクル」と銘打たれたタイトルに対して事前に抱いていた期待には残念ながら応えてもらえなかった。「クロニクル」と言うくらいだから学校事務に関する通史的な叙述を期待したが、そうした点には不満が残る。
その要因は、ひとつには、扱う時代の偏りが強すぎる点。もうひとつには、現場の学校事務職員の視点からの叙述よりも政府動向や制度変遷、学術界での議論にボリュームが割かれているように感じられた点。
一般論としても、歴史叙述において権力視点のそれか民衆視点のそれかという議論が生じて久しい。それをふと思い出す。
せめて学校事務職員が所属する労働組合(職員団体)の具体的な動向については、もう少し言及すべきだったのではないか(別に全学労連を書けとかではなく)。いろいろ事情があるのかもしれないが、それを避けたことで、学校事務職員当事者の不在性を印象づけてしまっているのではないか。
ふたつの批判は、著者の誤りや限界のみにその要因を求めるものではない。そもそも学校事務という非常に地味で小さい領域について叙述しようとすれば、全時代においてそれを拾い出すのは困難だろう。そうしたなかでも戦前からの学校事務の有り様を描き出そうとしたその尽力には敬服するところだ。
ただ、「クロニクル」と銘打つにはいささか疑問が残った。
「クロニクル」を残すには学校事務という業界全体の準備が不足しているのかもしれない。個人的にはいろいろな(元)学校事務職員が自身の知る学校事務労働のあり方を文字にして残してほしいと思っている。そしてそれらの集積を通して、第二第三のクロニクルの編纂が進められることを期待したい。てゆうか、ぜひ読みたい。
良かったところ。
クロニクル性に不満を漏らしておきながらなんだけど、やはり政府政策の変遷をまとめてもらえたのはたいへん助かる。役に立つ。まずひとつ。
そしてもうひとつ。一番面白く、ぐいぐい引き込まれ、刺激を受けたのは第6章、「未来」のパートだった。
他の章でも垣間見えるのだが、社会政治情勢を把握整理分析しそれに対して向ける批判的眼差しは、同意しまた学ぶところが多い。併せて、将来構想に対する貪欲さについては(内容への賛否はあるが)生き生きとしたものを感じた。
引っくるめて言えば。
著者ならびに編集関係者の意図として不本意であれば申し訳ないが、本書は「クロニクル」としては不満が残るが、学校事務論、学校論、学校教育論、教育行政論の論述としては非常に勉強になるし示唆に富むし刺激になるものだった。
時はあたかも「デジタル化」が「国是」に押し上げられようとしている。学校は明確にその標的のひとつにされている。
この状況に対して中村氏にはさらに精力的に発信していただきたいし、私も注目していきたい。