事務室の鍾声~学校事務職員の発信実践

伊藤拓也 全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)・川崎支部で学校事務労働運動に参加 川崎市立学校事務職員 Twitter→@it_zgrr

お互いフラットに助け合える存在としての学校事務職員

私自身、そして所属する全学労連やがくろう神奈川は、「学校事務の共同実施」に対して強く反対している。

 

「学校事務の共同実施」は学校事務の合理化政策であり、将来的には各校配置という学校事務職員のあり方を転覆し、学校事務職員の人員削減・センター化・非常勤化・外部委託、そして廃職を招くものだ。

このようなものを学校事務職員が自ら推進するなど、自身の墓穴を進んで掘るようなものだと思う。

しかし全事研や日教組事務職員部などは「職の確立」「地位向上」につながるなどと称して、行政当局と一体となってこれを組織的に推進している。

共同実施先進県においては、学校事務の行政職員との任用一本化や配置基準切り下げによる定数崩しが行われ、学校事務の崩壊ともいうべき状況が生まれているにも関わらず、それを直視することもなくご都合主義的で願望優先の世界観を持つ彼ら彼女らは、無邪気なままに全国の学校事務職員を葬ろうとしているようだ。

 

しかしながら、ここでは視点を変えてみる。

 

目下多くの自治体で行われている、各校の学校事務職員が週に1度とか2週に1度とかで集まるスタイルの「学校事務の共同実施」については、あってありがたかったという声が少なくない。

そこでの情報交換や研修、そして共同実施の関係性を通じた他校事務職員からの日常的な支援。

こういった支援については、特に経験の浅い事務職員にとって助かる面は確かにあるだろう。

 

私もそういった支援自体を否定するものではない。

 

ただ。

共同実施が存在する前から私たち学校事務職員は、自発的にお互い仕事を教え合い必要であれば直接手助けに行くことをしてきた。

そこに職名の違いや「代表」「リーダー」なんて肩書きはなく、対等な関係で同じ仕事をする仲間として、支え合ってきた。

共同実施はそうした関係性を上下関係・職階の枠にはめ込むものだ。

 

共同実施があってもなくてもそれとは無関係に、今も自発的に助け合う気持ちは存在する。

にもかかわらず、学校事務職員間に無用な階層を持ち込み、上位/下位、指導/被指導の関係を持ち込むのが、「学校事務の共同実施」の悪しき特徴だろう。

「善意」が「権威」に取って代わられていく。

 

「学校事務の共同実施」が行われていない地域の学校事務職員、あるいは「学校事務の共同実施」に背を向けている学校事務職員は、それがないからといって個々孤立したなかで働いているわけではない。

「学校事務の共同実施」なんてなくても、他校の事務職員と助け合う関係の中で働いている事務職員はたくさんいる。

 

学校事務職員というのは元来、お互いフラットに助け合える存在であるはずだ。