事務室の鍾声~学校事務職員の発信実践

伊藤拓也 全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)・川崎支部で学校事務労働運動に参加 川崎市立学校事務職員 Twitter→@it_zgrr

経歴初期の学校事務職員にはベーシックな業務に集中できる環境を保障すべき。それが豊かな学校事務にもつながるはず。

この仕事に就いて13年目になる。

 

当然ながら、給与事務にせよ旅費事務にせよ文書事務にせよ財務事務(これが業務比率としては圧倒的に多い)にせよ、経験年数の浅いころに比べてスムーズにできている。はずだ。

 

昔はマニュアルと首っ引きでやっていた職務でも、今は空(そら)で進めることができることが多くなっている。

強いて希望したわけではないが一貫して小学校勤務だったせいで、どういう物品がいつ頃どんな用途で必要になるかも、わりあいわかっているところがある。

重ねてきた経験の中で、難しい案件への対応の仕方もわかってきて、円滑かつ時間の無駄のない処理ができるようにもなっていると感じる。

 

であれば経験年数の浅いころに比べて仕事はスムーズに終わり、つまり勤務時間中の暇が増えても良いようなところだが、現実にはそういう感じはしない。

 

理由は分かっている。

昔は担当していなかった仕事を、今はいくつも担当するようになってしまったからだ。

 

はっきり言ってしまうが、喜んでそうなったわけではない。

一方で、校長交渉を経て一定の協議と譲歩も込みでそうなっているので、納得はしている。

 

職務経験の積み重ねと担当業務の増。

業務増をこういう風に言うのは語弊があるかもしれないが、私のそれは、所属した学校事務労組のお陰で、ある意味「良い形で」漸増したと思う。

 

 

私の事務職員生活。

その最初の数年においては、学校事務職員の最低限のベーシックな業務のみに集中することができた。

初任時の校長は私に2年目から学校徴収金担当をやらせようとしていたそうだ。

当時の川崎市立小中学校で事務職員が徴収金担当をしている学校は、事務職員加配校をはじめとした一握りだったのだが…。(私は単数校)

ともあれ、校長のそうした構想は学労の校長交渉により封じることができた。むしろ、理の通らない業務をいくつか返上した。

 

かくしてベーシックな業務に集中する環境に恵まれた私は、業務に対する知識を確立するとともに、自発的な発見や工夫や改善を講じ水準を高めようとするゆとりもできた。

そうして自発的な発見や工夫や改善の楽しさを知っていく中で、2校目に異動する頃になると事務職員のベーシックな業務以外に対しても、その対象が広がっていくことになる。

 

今私は、かつて「それは事務職員がやらなければいけないことではない」と突き放した仕事のいくつかを、担当している。

しかしそれは変節ではない。

組合を背景とした自立性と、それにより育まれた自発性。今の自分の仕事に対する源は、そこにある。

校長や市教委や学校業務相互支援事業、あるいは他自治体にあるような共同実施、共同学校事務室……。

そうした「他者」に強いられてやるものではない。

 

来し方を振り返って、強く思う。

経験の浅い時期、ベーシックな業務に集中できたのは幸せだった。

事務職員の職務平準化が言われるが、まだ本来業務の全体像把握も曖昧だし経験したことのない事例も山のようにある1年目2年目の職員に、20年目30年目と同じだけの業務を担当させようなんて、そんなバカな話があってたまるか。

しかしそんなバカな話が、川崎市の学校事務職員の世界の中でも川教組(日教組)・事務研を中心とした界隈で展開されている。

このところの新採用者は本当に気の毒だと思う。

「つらい」「おかしい」と思ったら、ぜひ学労に相談してほしい。

 

給与事務も財務事務もおっかなびっくりな若手に、それだけじゃだめだ徴収金だ就学援助だ学籍転出入だ教科書だ地域連携だ学校運営参画だそれらも全部やれ、と迫れば、消化不良を起こす。

症状が悪けりゃ倒れるし、そこまで至らなくとも消化不良では何一つ栄養にならない。

後に残るのは、瘦せ枯れた学校事務だ。