「平準化」シリーズ④〜誰にとっての平準化か、を吟味すること
このところ、締切モノの書き物・発表物に追われています。
もともと私はローカル人材(´∀`)なので、広い枠組みに向けた発信の経験が少ない。
それでも自分自身がメンバーになっている組織体の中での発信であれば、やらかしても自分で責任をかぶれば良いわけですが、そうではないところにご招待いただいた場合はそうもいかない。招待者の顔を潰すことになってはいけない、と思うわけです。
というわけで、ブログを更新することで締切を絶対に破らない誓いとします。
重石です。ブログ更新してたんだから、間に合いませんでしたは通用しねぇぞ?と自分を追い込むわけです٩( 'ω' )و
さて、シリーズ4発目です。今日は2022年10月のツイートを元に…。
「事務職員職務の平準化/標準化」の具体は「担当職務の平準化/標準化」、要はどこの学校でも同じ職務担当をすべしとして構想されがちですが、これは大間違いだと断言できます。
給与・旅費事務は職員の、財務事務は予算の、徴収金や就学援助事務は該当児童生徒の、それぞれ多寡により断じて平準ではありません。
また川崎市でやっている、外部講師招聘の事業費事務も同様です。
私の初任校では月々2件3件当たり前にあった事務でしたが、現任校では年間2件3件。
でも、「担当職務の平準化/標準化」で言えば、その両校は平準であり標準化されているということになります。
付言すれば、初任校でも現任校でも事務職員は私ひとり。
さてその前提で。
学校事務職員としての職務経験など一切ないまま単数配置された初任校では担当せず、10年の経験をもって着任した現任校では担当している学校徴収金や就学援助の事務を、これは初任校でもやるべきだった、それが「平準」だ、という話になるでしょうか?
そんなバカな話があってたまるか、と私は思うのです。
学校事務職員職務の平準化/標準化は、話者の立場によってその意味を変えるものです。
例えば、学労の多勢は「標準的職務」に批判的でしたが、内部に異なる立場もありますし、私自身若い頃「標準的職務」はかえって業務過多と闘う武器として大いに助けられた経過もあります。
ただそれは、川崎市の「標準的職務」通知が、事務職員個々の事情を踏まえ過重な負担を戒める文言を盛り込んだつくりであった(今もある)からこそです。
そこには、話者としての事務職員の立場も込められていると言えましょう。
一方、話者の立場に照らした吟味をせず上からの職務平準化/標準化を素朴に受け入れるのは、危険なことです。
ひるがえって。
自己の過去と現在のリアルな職務に向き合い顧みてみれば明白なことを、川教組(日教組)事務職員部がまったく認識せず、機械的な平準化標準化論と「つかさどる」「参画」「新しい役割」を当局以上に当局目線で説教して回る姿。
普段どんなつもりで何の仕事をしているのか、不思議で仕方がありません。