今日は2022年3月のツイートから。
自分も反省。でもそれから1年半。
さらなる反省込みで言いますが、ここで反省した傾向は一層強まっていることを認めざるを得ません。
属人的な働き方。はい、まさにそうです。
その上で言えば、職における業務領域や役割の拡大は果たして属人性と切り離せるのか?そういう観点からの検証はあるか?
調査研究していきたいし、ご存じの方がいらしたらぜひ教えてください。
私、初任で事務職員単数校に配置され(川崎では珍しい…というか完全未経験でのそれは自分の代が最後)、その上他校では措置されるサポート職員も付けてもらえなかった経緯があります。
その経験から以前は、自分の後に初任者が来ても苦しくならない程度までしか仕事をしない、という信条を持っていたのですが、喉元過ぎればなんとやら。
恥ずかしながら、今の自分の働き方はそうなっていません。
初任者でなくとも、毎日定時で帰る/帰らなければならない人が後任に来たら、困らせてしまったりワリ喰わせてしまいかねない働き方をしてしまっています。
そんな反省をこのところ噛み締めています。
今の私は残業が容易な私生活状況ですが、育児や介護や自身の健康など、様々な理由で残業できない人がいます。
「事務職員の能力活用」
「教員の負担軽減」
「頻繁に異動し経験を積んでもらう」
「つかさどる」
「定型業務からマネジメントへ」
などと叫び、学校事務職員に負荷をかけ続ける川崎市教委と川教組=日教組ですが、それで新たに生じる業務ともともとの業務合わせて、時間内で終わるかどうか計算しているのでしょうか。
残業すること前提の業務分担はあってはなりません。
労使ともに、その大前提を忘れていないでしょうか。
加えて。
学校事務職員業務の平準化……要はどの学校でも事務職員は同じ業務を担当しましょうというやつ……が言われますが、26学級=事務職員1人配置職場と27学級=事務職員2人配置職場とで、後者で可能な業務量を前者でもできるわけがありません。
事務職員業務の平準化、進めるべきであると当局も日教組も当たり前のように言いますが、学級数のひとつの違いで、要員が倍になるか半分になるか、という学校事務職員の配置基準を考えれば土台無理な話。
いかに賢しらに説かれても、騙されてはいけない話だと思います。