事務室の鍾声~学校事務職員の発信実践

伊藤拓也 全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)・川崎支部で学校事務労働運動に参加 川崎市立学校事務職員 Twitter→@it_zgrr

再び「先生方は忙しいから」について~学校における働き方改革の基本構造と職種差別

新型コロナ感染症に伴う緊急事態宣言の、首都圏における2週間の延長が決まった。私の働く神奈川県も対象だ。

しかし「緊急事態」の言葉を実感することは、めっきりなくなっているのが正直なところだ。

電車の混雑も日に日に増しているように感じる。

もちろん、表面上の社会の裏では医療現場をはじめ新型コロナ感染症に直対応する労働者たちが、日々苦闘している。職や生業を失い生活の危機に瀕している市民も多数いる。刑務所や入管施設では、集団感染が起きているという報告もある。

「日常化した緊急事態宣言」に意義を見いだすとすれば、そうした人たちへの具体的な支えを講じる根拠になることではないか。

果たして今は……。

 

本題。

昨日の日記はちょっとまとまりがなさすぎたよねと反省していて。

それで今日は、教員の業務負担と学校事務職員の業務負担を考える上で「学校における働き方改革」を振り返り、「先生方は忙しいから」から始まる少数職種への業務転嫁の動きについてまとめておく。

 

「学校における働き方改革」は、教員勤務実態調査において教員の長時間労働が明らかになったことが出発点であった。

このことから、「学校における」と言いつつ、その射程はあくまでも“教員の”働き方に対する内的・外的アプローチであった。

 

こうした性質が、教員の負担軽減を実現するために学校事務職員へ業務負担を転嫁する道筋をも生み出すこととなった。

 

「学校における働き方改革」の議論において、学校事務職員の負担について検討されあるいは一般論以上に語られることは、一切なかった。

 

この事の意味は結構重い。

 

教員の業務負担をどこかに移すにあたって、その先が教育委員会事務局という「組織」であればそれに応じた部署の新設なり職員の増員なりを織り込めば良いし、そんなことは中教審答申や何かにわざわざ明記することでもないと言えばそれはその通りだろう。

ただ、学校事務職員という「職種」、しかも1校1人が大多数の少数職種に移すということであれば、そういうわけにはいかない。まさか1人を2人にという2倍増員を全国で、3分の1国庫負担で、やるわけはないのだから。

そうなると、いまその職種にはどの程度の余裕があってどの程度の業務負担の移管であれば対応できるのか、という検討がモデルケース的にでもなされなければいけないところ。

そうした形跡は一切なかった。

 

答申を出した中教審も、それを受けて標準職務参考例を発出した文科省も、無責任にどんぶり勘定で様々な業務を「事務職員が担うべき」と言っているわけだ。

 

そしてその根拠とされるのをザックリ言えば

「先生方は忙しいから」

ということになる。

 

 

学校事務職員が忙しいのか忙しくないのかは、ここではあまり関係ない。

ある職に対して、その実情を検討することもせず一方的に「余裕がある・忙しくない」と断定したことが問題なのだ。

検討をしていない以上、その断定は偏見やステレオタイプに基づくものと見る他ない。

 

偏見・ステレオタイプに基づく特定の職種に対する要求行為は、職種差別と言う他あるまい。

 

「先生方は忙しい」

それはわかった。

繰り返すが、そうした労働条件の改善のために職種は違えどいくらでも共闘したい。

 

しかし。

「先生方は忙しい“から”」

その「から」はなんだ。