事務室の鍾声~学校事務職員の発信実践

伊藤拓也 全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)・川崎支部で学校事務労働運動に参加 川崎市立学校事務職員 Twitter→@it_zgrr

聖火リレー出発式に川崎市立学校10校が観覧参加。問題は「感染症対策」なのか?

昨日の川崎市議会文教委員会で、東京オリンピックパラリンピックに伴う聖火リレーの実施計画が明らかにされたと報じられている。


川崎市の聖火リレー出発式、1万3000人観覧受け入れへ 6月30日 沿道の「密」に懸念も :東京新聞 TOKYO Web

6月30日に実施するもので、等々力陸上競技場での出発式には13000人の観覧を受け入れ。これには観覧を希望した小・中・特別支援学校10校の児童生徒も参加する方向。
また、武蔵中原駅付近まで公道を含むコースでリレーも実施。公道では交通規制を実施するほか、競技場内の第一走者の後ろには児童20人が「サポートランナー」として走るという。

新型コロナウイルス感染症は終息にはほど遠く、それどころか変異株の蔓延により子どもへの感染報告はむしろ増えているところだ。
最近はめっきり聞かなくなった「クラスター」の言葉だが、かつてならそれが適用されたであろう状況にある学校ももはや珍しくない。

川崎市はかれこれ1か月以上、まん延防止等重点措置が適用されている。今後も延長される見通しが濃厚だ。
さらに緊急事態宣言は、解除どころか全国的に拡大する一方だ。
川崎市立学校の中には、昨年に続き修学旅行実施が危ぶまれている学校もあると聞く。

そんな状況にありながら、のんきに聖火リレーの出発式を開催する、観覧も入れる、みんな来てね!とやる川崎市・神奈川県の見識を疑う。
また、それに児童生徒を引き連れていこうと言う学校長の見識もまた、同じく。

オリンピック・パラリンピックそのものに対する評価、そして東京オリンピックパラリンピックに対する評価は、まぁまだしも、様々あろうと言うのは理解できる。
学校教育の一環として観戦を、というのもまぁ、あるのだろうという気もする。
しかし、聖火リレーとその出発式などというハリボテの「ショー」を、なぜにかくもやろうとするのか。そして学校教育の一環として、観覧に連れていくのか。

などと言いつつ、日中、こんなツイートをした。

新型コロナ感染症はいっこうに終息の気配がない。そんななかオリンピック・パラリンピックにはやるの?というのはもちろん多くの人の批判・疑問の源である。

ただ、にもかかわらず開催を強行しようとするIOCJOC、競技団体、大会組織委員会、日本政府、東京都の幹部たちの言動。あるいは政局に利用する意図があからさまな政権与党。あるいはスポンサー企業をはじめとした民間ステークホルダーの時に下品な、時に無責任な振る舞い。そして、市民としての立場を捨象しあたかも客体かつ無垢な存在かのように振る舞うオリンピアン。
こういった存在が可視化された。

総合して言えるのは、我々大多数の市井の市民の制約や犠牲の上に彼ら彼女らがふんぞり返り、自己の利益や名誉や満足の最大化を図ろうとする、そのための装置がオリンピック・パラリンピックというものであった、ということ。

そういうあり方が、新型コロナを機に表面化したということだろう。
なにも、新型コロナがオリンピック・パラリンピックをそういうものにしたわけではない。
もともとそうだったのだ。

多数の犠牲や制約の上に一握りが利益・名誉・満足を満たすための装置。
聖火リレーやその出発式というのはさしずめ、犠牲や制約を強いられる多数のうちの一部に少しだけ、特別な思いをさせてその装置の歯車に組み込む選り分け作業か。

そんなものは、新型コロナがあろうがなかろうがあってはならない。
そんなものを、公教育に持ち込んではならない。
感染症対策が万全ならいい、というものではない。