学校教育法の定める校長の権限と個人ならびに労働組合との関係を考える。
先日、川崎市内のある学校事務職員の方(以下Aさん)と話をした。
もともと知り合いの間柄のところ、今回は人づてに、ある業務について自身が引き受けなければならないか否かで校長ともめている、と聞いたことから。
詳しい内容は個別の相談の話なのでここでは言わないが、その業務は確かに、「学校事務職員」が引き受けなければならない職務かと言えばそうは言えないものであった。
しかしながらその校長は、学校教育法を根拠に、再三再四強く要求してくるということ。
Aさんとしては、せめて繁忙期が過ぎるまではその業務の担当は免除してほしいと求めたが、聞く耳を持たないということだった。
法律上、引き受けなければならない根拠があるのだろうか、と。
私は労働組合役員なのでその立場としては、校長の権限に基づく校務分掌ないしそれに類する校務の分担と考えられ校長を当局とする労使交渉事項であるからして、Aさんが当組合に加入しさえすれば労使交渉で解決の道筋を探ることができますよ、ということを丁寧にお話をし、けれどAさんはかれこれ2か月近くの校長とのやりとりに諦めを感じてしまっていたところだったので、そういうことにはならなかった。
ただそれはそれとして、今回のお話を機に学校教育法上のこのあたりの規定を学ぶこととなり、個人的には知識を身に付ける機会を得られた。
併せて、「法律にどう書いてあるか」という法律の読み方は誤りであると私は認識しているのだが、そういう誤った使い方をする校長が存在すること、労働者側も「法律に書いてあるかどうか」という狭い判断に誘導される環境に置かれていることを認識した。
学校教育法は37条4項に「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」とある。
これが校長に「校務掌理権」と「所属職員監督権」というふたつの権限を付与する源となる。
で、校長にとっての「校務」とは、直接的な教育活動から教育事務、児童生徒関係事務、財務・物品事務、給与事務、人事管理、保健管理、安全衛生、給食実施、施設設備管理、渉外……たぶん他にも……を指す、と。
これらみーんなの校務を校長は掌理するわけだけれど、つかさどる一環として校務を教職員に「分掌」すると(学校教育法施行規則43条)。
で、その「校務分掌」を決定する権限が校務掌理権として校長にあるんだよと。
うん。なるほどこれだけ見てしまうと、「それ学校事務職員の仕事じゃないよね」と言いたくなるような仕事でも、「いや、いまめちゃくちゃ忙しいから私にその仕事振らないでよ」と言いたくなるような時期でも、引き受けなければならないの?と不安になってしまう。
逆に、「ワシには校務掌理権があるんじゃー!黙ってやれー!」って校長も現れるだろう。
でも、それは違う。
校務掌理権は「権力」ではなく「権限」で、つまり限界のある「権」であることにまずは気付いて、落ち着こう。
それでもって先程サラッと()書きでくくった学校教育法施行規則43条は「調和の取れた学校運営が行われるためにふさわしい校務分掌の仕組みを整えるものとする」と謳う。
そう、調和が取れてないといけない。
そうすると、校長が独断で決めてヒラがヒーヒー悲鳴を挙げている学校運営は、到底調和がとれているとは言えない。
さてところが。そもそも独断で決めてヒラをヒーヒー言わせるような校長に、個人で法律の読み方を突き付けてもあっさり納得するだろうか。はなはだ疑わしい。聞き流して終わり、怒鳴り返して終わり、ニコニコ聞きつつ何も変わらないで終わり、のどれかで終わるのがオチではないか。
これが、労働組合として相対して交渉の場を持つとどうなるだろう。そこはやはり変わってくる。
してみると、学校教育法施行規則43条の実現には、やはりキチンとした労働組合の存在が必要不可欠なのではないかというところに落ち着いた。