事務室の鍾声~学校事務職員の発信実践

伊藤拓也 全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)・川崎支部で学校事務労働運動に参加 川崎市立学校事務職員 Twitter→@it_zgrr

学校事務職員の仕事~「多品種少量」「定型的業務」そして思考と実践の話

あと3か月もすれば学校を卒業して働き始める人たちがいるのだなぁと、ふと気付きました。

私たち学校事務の世界にも、新人がやってきます。

川崎市は13人の採用試験合格を出しています。このうちどれだけの人数が実際に入職するかはわかりませんが、歓迎の気持ちを表するとともに、労働条件と職の将来を維持向上させるため、引き続き頑張っていきたいと思います。

 

そうした方々がおそらく気になることのひとつ。それは、学校事務の仕事や役割とは何ぞや。

これはなかなかイメージしがたいところだと思います。表に出ることが少なく、人数も少ない。そうしたことから世間的に認知度の高い職業ではありませんから、それは当然です。

さすがの情報社会。書籍上ないしインターネット上において、学校事務職員の仕事について紹介するものは若干ありますが、残念ながらまったくデタラメの域のものも見られるほか、純粋に仕事の実態を描くというよりは筆者が抱く強度な思い入れの教化を目したもの、そして何より地域・学校ごとの差異を顧みない論考が少なくありません。

このうち差異の存在については、公教育が地方公共団体の手によって行われ、また学校教育法のもと学校ごとに校務掌理がなされる原則の中にあっては、ある意味で当然のことです。

その点をあいまいにしたままに、「学校事務とはかくたるもの」を語ることは不正確ですし、まして「かくあるべき」を語ることは不誠実のそしりをまぬかれません。

 

入職を間近にして「関連書籍のひとつでも読んでおいた方がいいだろうか」と思う方もいるかもしれませんが、かえって入職後のギャップのもとになることも危惧します。

ちなみに昨日のTwitterでは学校事務職員アカウントの間で、入職前にやっておいた方がいいこととして「コンビニバイト」が挙がりました。

確かに地区・学校がどこであれ、学校事務職の仕事がマルチタスクであることは間違いのないところです。労働組合活動の先輩は「多品種少量」という言い方をしていました。

 

ところで、学校事務の仕事をめぐっては「定型的業務」という言い方をする人たちがいます。

その最たる存在は日本教職員組合で、日教組事務職員部(南部猛部長=当時=)は2021年に文科省への要請行動において2度にわたり「定型的業務はAIに任せて」「定型的業務はAI等を導入して」と訴えています。そのうえで、「事務職員でなければできない」仕事にシフトしたいのだと。

全事研(全国公立小中学校事務職員研究会)も、定型的業務だけをやっていては生き残れないといった主張を繰り返しています。

 

しかしながら、ある業務を「定型的」と断じるのは正しいことなのでしょうか。

また、「定型的業務」とはすなわちAI導入に適した業務とイコールなのでしょうか。

そもそも学校事務職員が日々直面している業務執行は「定型的」なのでしょうか。

 

それは単に、そう断じるその人自身が、非定型的に対応すべき業務執行を定型的にしかしていないだけ、ということはないでしょうか。

私は、どんな業務にも工夫と改良の余地があって、そのことが、賃労働に過ぎずとも人が仕事をすることの価値だと思います。

日教組や全事研が、学校事務職員の従来からの業務を「定型的業務」と呼び否定的に評価するのは、他ならぬ自身がそれらの業務に対する工夫や改良の歩みをやめてしまっているからではないでしょうか?

 

工夫や改良は頭を使います。思考・発案・構想・了承・実施。各プロセスがあります。

日々の目の前の業務に対して頭を使うことをしない方ややめてしまった方が、彼ら彼女らが希求するいわゆる「企画・立案」業務になったとたん頭を使い始めるのか。使い始められるのか。

はなはだ疑問です。

 

誤解してほしくないのですが、私は定型的にしか業務執行しないことがいけないとは全く思っていません。所詮は賃労働ですから、そういう働き方は全然アリです。

ただ、目の前の仕事を「定型的業務」と軽んじて大層な将来ばかりを追い求める学校事務職員というのは、あまり良いあり方ではないと私は感じます。

それを組織立ってやられてしまうのは、はっきり言って迷惑です。

 

立場上、仕事の意義や楽しさみたいなことを語るのは性に合いませんが、日々の仕事に向いながら小さな気付きをもとに工夫・改良を加え、それが良い結果を生み出せば気分がいいですし、良い結果につながらなければ別の方法を模索する新たな工夫・改良への道が始まります。

そうした取り組みは、自身の健全な職業生活を作り出すとともに思考と実践の活性化という民主主義社会を生きる市民の素養を高めます。

さらにその取り組みの結果として、学校運営を学校事務職員の立場からより良いものにし、より良い公教育の継続につながるのだと思います。

 

「子どもの豊かな学びや育ちのために」

そんな主体の大きなスローガンは、学校事務職員の働き方にはそぐわないのです。