給与・旅費・人事事務(総務・庶務事務)の電子化で事務職員の業務負担は軽減されるのか
学校事務職員の担当職務は都道府県や地域、さらには学校によっても差異がある。
それは、歴史的な経緯であったり労使確認であったり職員配置状況(特に市区町村費学校事務職員の配置の有無)であったり教育委員会事務局や首長部局が取る業務体制との兼ね合いだったり学校規模であったり、そして事務職員の経験や個性や抱える事情であったり。要因も様々だ。
ただいずれの要因についても、それぞれについてその意味・意義が軽視・棄損されるべきではない。
学校事務職員の職務のあり方を考えるとき、現にある差異を真摯に受け入れることが必要だと思う。
そうした点から、2020年7月に文科省が「事務職員の標準的な職務の明確化」を示す通知を出したことは、上からの押し付け・規範化を図り現状を強権的に転覆することにつながる乱暴な行為だ。
それはそれとして。
いかに担当職務がまちまちだとは言っても、学校事務職員の中心的な職務は給与・旅費・人事管理関係の事務=総務・庶務事務である、と言って異論が出ることはないと思う。
この総務・庶務事務をめぐっては、情報化・電子化・庶務事務システム化により事務職員業務の軽減が進む、極論すればほぼ消滅する、かのように言われることがある。
古くは15年近く前からであるが、大枠の考え方はそれほど変わっていないことも合わせて興味深く見るところだ。
厄介なのが、学校事務職員の職の確立だの地位向上だの能力活用だの教師が子どもと向き合う時間の確保だの教頭・教師の負担軽減だの子供の豊かな学びを支援するだのつかさどるだの学校運営に参画するだの……
……とにかく要するに「学校事務職員はもっと働け」という方向性を推進するうえで障壁となる「いや、今の仕事どうすんだよ」という課題に対して、「庶務事務システム入れれば問題ないでしょ」という材料に用いられていることだ。
しかしながら、電子化・システム化—―今流行りの言葉を使えばデジタル化—―は業務環境を改善・向上させる、という認識は広くかつ根強い。
上記のような課題意識を持っていたとしても、総務・庶務事務の電子化そのものはそれに関わる業務負担軽減をもたらす、ということに疑いは持たれない傾向が支配的だ。
しかし果たしてそうだろうか。
アナログな業務を電子化するとき、業務フローは当然変わる。
そしてその業務フローを作るのは、あくまで「人」である。
電子化された環境のもとで職務上のリレーションをなすのも、あくまで「人」である。
今の仕事のあり方がそのままそっくり電子化されるわけではない。
一例として。
私の働く神奈川県川崎市では、17年の県費負担教職員の政令市移管に伴い、従来川崎市庁全体で導入されていた事務システムが適用された。
その際の当局説明資料が次の通りだ。
給与(服務を含む)・旅費・人事といった総務・庶務事務をめぐり、県費当時=電子化以前は、管理職が決裁したものを「結果」(給与・旅費支給や管理帳簿)に反映させるのが事務職員の仕事であった。
それが電子化を機に、それらの決裁経過に事務職員が組み入れられ、これと一体で管理職の決裁責任意識やその前提となる知識・認識の後景化・劣化、事務職員への丸投げ化が進行している。
事務職員は日々、我が仕事として、従来管理職の管理業務であった業務を担わされることになった。
私の受け止めとして言えば、この結果、総務・庶務事務上の負担はむしろ増している。
総務・庶務事務の電子化が業務負担を軽減させるのか。
このことについて、少なくとも「電子化」そのものだけを取り出して論ずることは大きな誤りを招く。
問題は、「電子化」によってどういう働き方/働かされ方になっていくかということだ。
システム導入や業務電子化で業務負担自体が単純に軽減されるというのは、システムを売り込むベンダーの広告の世界であって、あまりに単純な認識なのが現実だ。