事務室の鍾声~学校事務職員の発信実践

伊藤拓也 全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)・川崎支部で学校事務労働運動に参加 川崎市立学校事務職員 Twitter→@it_zgrr

GIGAスクール構想の「思想」~子どもの自主性とアジャイル開発

いたましい報道があった。

 

www.asahi.com

タイトルにある「配布タブレット端末」とは、「GIGAスクール構想」により学校から配布された端末のことだろうと、すぐに察しがついた。

こうしたは事態もとより危惧されていたところだが、こんなに早くに起きてしまうとは。

私はかねてGIGAスクール構想を批判してきた。その立場から早々に何らかの発信をしても良かったのかもしれないが、しかし躊躇した。

 

ひとつにはもちろん、ひとりの小学生の命が自死によりうしなわれたことの重大性。

ただもうひとつには、これを殊更にGIGAスクール構想の問題とつなげて見ていいものか、判断がつかなかったことがある。

 

情報通信手段が身近になり利用者の低年齢化が進んだ結果、いたましい事態に至るようになって久しい。

LINEを通じたトラブルから10代の少年少女による殺人事件が起きたのは、2010年代もまだ前半頃だった。

当時、高校教員の友人と会うとすでに、LINEをめぐる生徒間のトラブルに苦労していた。当時は私も彼もLINEをやっていなかったこともあり、LINEが起こすトラブルの増幅力はなんとも恐ろしくかつ奇妙に感じていたものだ。

時は流れたが、「LINEいじめ」は今に至るも大きな問題のようだ。

 

今回の話に戻ろう。

GIGAスクール構想により端末が配布され、小学生にとっても情報通信手段が一気に身近なものになった。

その環境のもとで、今回の自死につながるいじめも起きたということで、GIGAスクール構想がいじめの手段となり事態の悪化につながったことは間違いない。

ただ、それをもってGIGAスクール構想そのものまで云々するのは、いささかこじつけになろう。

そう思っていた。

 

しかし次の記事を読み、当該小学校の状況を知るに、GIGAスクール構想やその推進者が唱える「思想」が学校現場にもたらす危うさが浮き彫りになったと感じた。

 

president.jp

同校の昨年度の校長(記事中「A校長」)は、次のように紹介されている。

A校長は20年以上前から授業でICTを取り入れてきた先駆者で、現在のGIGAスクール構想につながる「学校教育の情報化に関する懇談会」(2010年~2013年、座長・安西祐一郎氏)に第一回から参加。ほかにも文科省の「教育の情報化に関する手引」作成委員(2009年)、「学びのイノベーション推進協議会」委員(2011~2014年)を務めるなど、日本のICT教育推進の旗振り役として知られている。

 

そうした経緯から、同校ではICT教育に関する大規模な研究報告会が開催され、A校長は文科省経産省からの出席者と座談会を持つなどしていた。

ある保護者はそんなA校長を「ICT教育の第一人者」と認識し、端末利用についても信頼していたという。

 

しかし、その端末の実態はこのように報じられている。

ゲームし放題、YouTube見放題の設定になっていた。制限がかかっていたのは一部の成人向けや暴力的なサイトだけで、利用時間などの制限はない。やがてこの端末が、家庭や学校に混乱を招き、最悪の事態を招くことになる。

 

保護者の木村さんの証言も紹介されている。

「A校長は、あえてルールを設けず、子供の自主性に任せて、失敗のなかで学ばせるという方針なんです。クロームブックを持ち帰らせる際も『長時間や深夜の使用はしないようにしてください』『勉強以外に使わせないようにしてください』と書いたお便りを渡すだけ(写真参照)。でも、これは家庭に押し付けているだけ。無責任だと思います」

A校長が先駆者としてICT教育について取材を受けた記事がある。そのなかでA校長は「ルールをつくらなかったことで自主運営できるようになった」と話しているが、木村さんは「これはウソ。実際にはめちゃくちゃな状態で、記事を読んだ時はどこの学校の話かと思いました」と断じる。

 

以下、同校における様々な実態が報じられており、そうしたICT教育の先に今回の事態があるわけだが、そこは記事を読んでほしい。

 

さて。

私が着目したのは

あえてルールを設けず、子供の自主性に任せて、失敗のなかで学ばせるという方針

のくだりだ。

なるほどICTに限った話でなくとも、「子供の自主性を信じ時に失敗するのも見守りつつその中で学ばせる」というのは教育のあるべき理想として、多くの人は賛意を抱くところだろう。

 

しかし、私はそういう「教育の理想論」として、A校長の弁をそのまま受け取ることはできない。

頭をよぎったのは「アジャイル」という語。

これは、GIGAスクール構想の全般を支える「思想」とも言うべきものとして、推進者により言及されている。

 

例えば次の記事は、まさにGIGAスクール構想推進の責任者を務めた、前・文科省初中局情報教育・外国語教育課長のインタビュー記事。

 

混乱を整理し、社会全体のデジタル化の動きとつなげる デジタル改革の視点からGIGAスクール構想を見る<理化学研究所経営企画部長兼未来戦略室長/前・文部科学省情報教育・外国語教育課課長 髙谷浩樹氏>

教育家庭新聞 教育マルチメディア号 2021年5月3日号掲載

https://www.kknews.co.jp/post_ict/20210503_10a

 

できることから始め軌道修正をしていく

IT分野にはアジャイルという概念がある。

皆さんが使うOSやアプリのバージョンアップのように、製品に少しでもバグが見つかればすぐに新しい技術を入れる等、随時柔軟に対応する方法である。そもそもICTで一律に完璧を目指していると時間やコストがかかる。ICTとはそういうものであり、教育でのICT導入・活用も、まずはできることをやりつつ、失敗を重ねながら随時改善してほしい。

 

そしてその後任課長へのインタビューを交えた、「東洋経済education × ICT編集チーム」による記事。

 

toyokeizai.net

GIGAスクール構想をシステムやソフトウェアの開発に例えるなら、ウォーターフォール型だったプロジェクトが、アジャイル型に急に変更されたようなものだ。100%完成してからスタートするよりも、完成度は低くてもスピード重視でプロジェクトを走らせ、その中で変更、修正のアップデートを繰り返してクオリティーを上げていく。そのやり方に戸惑いや批判はあるかもしれないが、学びが変わるGIGAスクール元年が幕を開けたのだから、教育現場も新しい環境を受け入れ変化すべきだろう。

「データを取ったわけではありませんが」と前置きしつつ、今井氏はこんなエピソードを紹介する。

「例えば、子どもたちがICT端末を使ってインターネットで望ましくない情報に触れたり、そこでトラブルが生じたりするのではないかと心配する学校、教員も少なくありません。端末を家に持ち帰ることができるので、学校外でのトラブルをおそれて、文科省が標準搭載してほしいと考えるソフトや機能を、学校設置者や現場の判断で端末のセッティング時に絞っている場合があると聞いています。われわれとしては、子どもたちに使いこなしてほしいと思うソフト、機能を提示しており、こうした懸念をクリアするために『本格運用時チェックリスト』などを用意していますので、ぜひしっかり準備をしていただいたうえで、ソフトや機能を制限せず活用する方向で検討をお願いしたいと思います」

 

こうしてみると、A校長の「あえてルールを設けず、子供の自主性に任せて、失敗のなかで学ばせるという方針」というのはひとりA校長の持つ教育論ではなく、GIGAスクール構想の在り方の根幹をなす思想とみることができる。

その思想が「アジャイル」である。

要するにトライアンドエラーであり、バグがあっても完成度が低くてもトラブルが想定されてもとにかくスピード重視でまず動かして、あとから修正すればいい、という考え方。

 

システム開発に関する知識は欠片もない。だからアジャイル開発の手法そのものの是非は語れない。

ただ、その手法を「これか学校劇的ります」(文部科学大臣メッセージ)と謳う構想の、環境整備のみならず現場での運用においても根幹に据えたのは、果たして正しいのか。

 

学校現場でGIGAスクール構想が生じさせる「バグ」や「低い完成度」や「トラブル」について、GIGAスクール構想の推進者はどの程度のものと考えていたのか。

GIGAスクール構想の「思想」が問われる。