事務室の鍾声~学校事務職員の発信実践

伊藤拓也 全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)・川崎支部で学校事務労働運動に参加 川崎市立学校事務職員 Twitter→@it_zgrr

学校事務職員の「職務の標準化」は何が問題か

このところ、豚肉を漬け込んでしばらく置いてから焼くことが続いている。この前は味噌漬け、今夜の夕食にしたのはにんにく醤油漬け。

漬け込んでおけば保存がきくということで、どちらの場合も食べたのは消費期限を数日過ぎてからであった。

漬け込んだ豚肉は、美味しかった。

けど、よく「肉は腐りかけが美味い」とも言われる。

美味しかった理由はどちらだろう。

 

それはさておき。

学校事務職員の職務のあり方をめぐり、しばしば言われるキーワードとして「職務の標準化」がある(「平準化」とも)。

義務制学校にはほとんどの場合、事務職員は1人ないし2人しか配置されていない。

そんな学校事務職員のなかには、40年目のベテランもいれば1年目の初任者もいる。

そして、職場である学校についても様々だ。

私の勤務する川崎市を例にとれば、児童数200人に満たない学校から1000人を超える学校まである。当然それに応じて、教員の数も違えば校舎の規模も違うし、配当される学校運営予算も現有備品の数も違ってくる。

事務職員が1人なのか2人なのかは基本的に学級数によって決まるので、大規模校には2人いるし逆に1人配置の学校は大きな学校ではない、といえばそれはそれで間違っていないのだが、そう単純な話でもない。

学校規模(学級数・児童生徒数・教職員数・校舎規模・予算規模等々様々な要素を総合しての意味)の大小はグラデーションだ。対して、1人配置か2人配置かは学級数という単一の基準を上回るか否かであり、そこの差もまた1か2かという峻別だ。

要するに大規模寄りの1人配置校もあるし、小規模寄りの2人配置校もある。

 

以上が学校事務職員の配置状況である。ちょっとくどくなった。

 

さて、学校事務職員の「職務の標準化」である。

これは要するに「どこの学校でも学校事務職員は同じ職務を担当しましょう」「どこの学校でも同じ職務を学校事務職員の担当にしましょう」という意味で使われているようだ。

……実は上のふたつは意味が大違いなのだが、「職務の標準化」を推進している人たちの間ではあまり問題になっていないようなのでここではとりあえず置く。

ともかく、そういう意味である。

 

こういうことが言われる背景には、先に挙げた学校事務職員の配置状況がある。

つまり、1校1人ないし2人しかおらず経験もまちまちな状況から、学校によって(あるいは事務職員によって)学校事務職員の担当職務が違う、という実情がある。

全国で見ればその差は大きいし、同じ県、同じ市、あるいは近隣学校間においても、担当職務が異なっているのは珍しくない。

 

「これはイカン!問題だ!」というのが、「職務の標準化」を進めたい人たちの認識である。

何がイカンのか、何が問題なのか。

これはまた人によって違ったりもするので、そこまで書くと長くなるので、次回以降に譲る。

 

ともかく、学校事務職員の「職務の標準化」を進めなければ、という意識は、教育委員会当局や一部の校長、そして日教組、全事研辺りが共有しているもの。

それを後押しする動きとして、昨年7月に文部科学省が出した「事務職員の標準的な職務の明確化に係る学校管理規則参考例等の送付について」という通知もある。「標準的な職務の明確化」を通じた「職務の標準化」だ。

さすがに全国的な標準化は文科省も意図していないようだが、同じ県内、あるいは同じ地区内での「職務の標準化」を促す意図はあるだろう。

 

さて。「職務の標準化」は是か非か。

これを考えるにあたって、まずは「誰にとって」是か非かを立てる必要がある。結構、それを曖昧にした議論が多くて辟易する。

私は仮にも労働運動の立場に立つ者だから、これについては当然、学校事務職員にとって是か非か、ということになる。

では学校事務職員にとって「職務の標準化」は是か非か。

実はこれ、単に「事務職員の担当職務を全校合わせます」だけなら必ずしも悪い話ではないと思う。

 

しかしながら、巷に言われるところの「職務の標準化」に対しては、否定的にならざるを得ない。

なぜか。

「合わせる内容」(「合わせる先」と言っても良い)は結局、担当職務を増やす方向に向けられているからだ。

単に「合わせる」だけなら全員が順応できるよう、もっとも担当職務が少ない学校に合わせても良いはずだが、絶対そうはしようとしない。

結局、「職務の標準化」は学校事務職員への労働強化と一体の志向なのだ。

 

単に「標準化すればどこの学校に異動しても困らないで済むね」では済まない。そこに「職務の標準化」の問題がある。