事務室の鍾声~学校事務職員の発信実践

伊藤拓也 全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)・川崎支部で学校事務労働運動に参加 川崎市立学校事務職員 Twitter→@it_zgrr

「平準化」シリーズ② 学校事務職員の配置のあり方の現実と業務量

今日は2022年3月のツイートから。

自分も反省。でもそれから1年半。

さらなる反省込みで言いますが、ここで反省した傾向は一層強まっていることを認めざるを得ません。

属人的な働き方。はい、まさにそうです。

その上で言えば、職における業務領域や役割の拡大は果たして属人性と切り離せるのか?そういう観点からの検証はあるか?

調査研究していきたいし、ご存じの方がいらしたらぜひ教えてください。

 

私、初任で事務職員単数校に配置され(川崎では珍しい…というか完全未経験でのそれは自分の代が最後)、その上他校では措置されるサポート職員も付けてもらえなかった経緯があります。

その経験から以前は、自分の後に初任者が来ても苦しくならない程度までしか仕事をしない、という信条を持っていたのですが、喉元過ぎればなんとやら。

 

恥ずかしながら、今の自分の働き方はそうなっていません。

初任者でなくとも、毎日定時で帰る/帰らなければならない人が後任に来たら、困らせてしまったりワリ喰わせてしまいかねない働き方をしてしまっています。

そんな反省をこのところ噛み締めています。

 

今の私は残業が容易な私生活状況ですが、育児や介護や自身の健康など、様々な理由で残業できない人がいます。

 

「事務職員の能力活用」

「教員の負担軽減」

「頻繁に異動し経験を積んでもらう」

「つかさどる」

「定型業務からマネジメントへ」

 

などと叫び、学校事務職員に負荷をかけ続ける川崎市教委と川教組=日教組ですが、それで新たに生じる業務ともともとの業務合わせて、時間内で終わるかどうか計算しているのでしょうか。

 

残業すること前提の業務分担はあってはなりません。

労使ともに、その大前提を忘れていないでしょうか。

 

加えて。

学校事務職員業務の平準化……要はどの学校でも事務職員は同じ業務を担当しましょうというやつ……が言われますが、26学級=事務職員1人配置職場と27学級=事務職員2人配置職場とで、後者で可能な業務量を前者でもできるわけがありません。

 

事務職員業務の平準化、進めるべきであると当局も日教組も当たり前のように言いますが、学級数のひとつの違いで、要員が倍になるか半分になるか、という学校事務職員の配置基準を考えれば土台無理な話。

 

いかに賢しらに説かれても、騙されてはいけない話だと思います。

「平準化」シリーズ① 上昇志向でなく業務の現実を直視すること

いきなり情けない話ですが。

役割柄、組合ニュースをはじめとする各種媒体や申入書といったものを書く機会が多く、なかなかブログに筆が向かいません。

ちょっとした発信でしたらどうしてもX(Twitter)でしてしまいます。

でも、そんな「ちょっとした」が必ずしも「ちょっと」にならず、ツリー化することは少なくありません。

 

振り返ってみたら、ブログでまとめるに足る内容も見られました。

Xの先行きも不透明ですし、手直しの上こちらに残す意義はあると判断し、シリーズ化してアップしていこうと思います。

手抜きって言わないでね( ´∀`)

 

今回は2021年12月にツイートした内容を整理します………

 

 

学校事務職員の担当業務をどこの学校でも等しくすることと、学校事務職員の業務負担量をどこの学校でも等しくすることとは、全く異なります。

なぜなら、ひとつひとつの業務の負担量は学校によって違うから。学校規模や地域特性、施設設備の状況や職員の傾向等々、様々な要素が影響します。

 

多くの教育委員会が推し進める「特色ある学校づくり」といった政策も、学校事務職員の業務負担量について学校間の差を産み出します。

例えば川崎市には「夢教育21推進事業」というものがありますが、これによる外部講師謝礼(報償費)の支払件数は、学校により大きく大きく異なります。

 

この事務をめぐっては、外部講師への支払の都度に予算執行伺から始まり支出・前渡金処理・支払・源泉徴収・精算、そして年末の報酬支払調書作成・送付と、わりと煩雑な業務を伴うものです。手続きの時系列をめぐり調整や注意も要し、件数・支払先が多いか少ないかで業務量は大きな差が出ます。

 

現在の勤務校では2021年、支払先は1人だけでした。一方で初任で勤務した学校は(少なくとも当時)年間で30人以上支払先があり、支払事務は月に複数件扱うのが当然の環境でした。

夢教育21推進事業事務について、初任校と現勤務校とで事務職員の担当業務は変わりません。が、業務負担量は雲泥の差です。

これは一例。

 

「学校事務職員業務の平準化(標準化)」を語るに際しては、こうした実態を直視しなければいけないと考えます。

担当業務の平準化は、業務負担の平準化ではありません。

平準化を推進する立場の方は、そうした学校差を事務の集団化(学校事務の共同実施・共同学校事務室)により吸収できると考えているのかもしれませんが、その程度は甚だ疑問です。

まして、学校事務職員業務の現実・実態を真面目に直視する気などなく、ただただ上昇志向に基づく職階強化を追い求め学校事務の集団化を主張する教職員組合の尻馬に、教育委員会当局が乗るような形で進められてはなりません。

 

それは間違いなく、学校事務職員のためにも学校のためにもならないものです。

 

教員業務支援員と学校事務職員の関係について

教員業務支援員の配置が広がって、久しくなりました。

当初、文科省は「スクール・サポート・スタッフ」と称し、また自治体ごとに独自の職名を付したところも少なくないようです。

私の勤務する川崎市では「教職員事務支援員」といいます。

その後。「教員業務支援員」の呼称は、21年8月の学校教育法施行規則改正により規定されました。

 

さてしかし。

働き方改革が生み落としコロナ対応が配置を加速させたこの職の位置付けについて、果たして学校現場で正しく認識され、適切な処遇を得ているでしょうか?

私自身は教員業務支援員ではありませんが、同じ学校職場に働く方が管理職を筆頭に多数の教員たちを向こうに回している中、適切な処遇(賃金だけの話ではありません)にあるかチェックしていきたいと思っています。

最低限、法的ないし行政的にあるべき位置付けや職務を逸脱した扱いをされるべきではありません。

敢えてこういう言い方をしますが、このことは「学校唯一の行政職員」たる学校事務職員として、当然の発想だと言っても良いかもしれません。

 

しかし、文科省教育委員会当局の言う「学校唯一の行政職員」なるおべんちゃらを間に受けている学校事務職員ほど、この点には意識が向かないようです。

それどころか、自己の役割拡大(?)地位向上(??)のタネにするかのような動きが見られます。

 

例えば。

学校事務職員が自分の担当業務に付随する手作業仕事……事務用の印刷や入力や文書整理……を教員業務支援員に押し付けておいて、自分は教員の手作業仕事を引き受けて「教育活動支援」「働き方改革」「つかさどる」と称する。

そんなグロテスクな光景もあるようです。

 

「教員業務支援員」はその名の通り教員の業務支援が職務であり、学校事務職員の業務支援は職務になりません。

学校事務職員の業務を手伝わせたり肩代わりさせたりするのは、本務ではないサービス労働を強いるものであり許されない事です。

もし、教職員事務支援員に手伝ってもらわなければ仕事が回らないのであれば、それは担当業務が過重になっているということですので、校務分掌の見直し等により対応すべきものです。

役割が決まっている他職種のサービス労働で糊塗すべきではありません。

 

あるいは。

学校事務職員が教員業務支援員の業務をマネジメントする…という妙な話を見かけることもあります。

なぜ、非管理職で職務命令権限を持たない立場にありながら、他職種の業務をマネジメントできるかのように言われているのでしょう。

一部学校事務職員は、できるかのように振る舞うのでしょう。

一方なぜ校長教頭は、教員や事務職員の業務マネジメントはするのに教員業務支援員の業務マネジメントはしなくて良いと思うのでしょう。

なぜ一部学校事務職員は、教員の業務マネジメントをしようとはしないのに、教員業務支援員の業務マネジメントならできると思うのでしょう。

 

これは「職種差別」の問題だと思うのです。

 

歴史的に言えば学校事務職員も、教員が多数の学校職場の中で差別的な扱いにさらされてきました。

法定外控除や親睦会会計担当の強制、職員のためのお茶汲みや弁当注文取りまとめ、私用の買い出し…。

学校事務労働運動はこうした悪しき学校文化に対抗し、跳ね返してきました。

それでも、今もなお地域によってあるいは学校によっては続いており、それを廃絶する取り組みもまた続いています。

 

そういう職の歴史を持つからこそ、学校事務職員は学校内の職種差別や軽視、無理解に対して、是正させる立場に立てると思うのです。

必要なことは、根拠もないのにあたかも管理職然として「マネジメント」することではなく、労働者としてともに歩むことだと思うのです。

【発表紹介】共同実施・共同学校事務室と事務職員の業務負担増の実態(2022年10月・全国学校事務労働者交流集会)

第49回全国学校事務労働者交流集会・福島 テーマ②
「共同実施・共同学校事務室と事務職員の業務負担増の実態」
2022年10月1日 伊藤拓也(全学労連事務局)

 

■本報告について
 共同実施・共同学校事務室が事務職員の業務負担増につながっているのか否か、つながっているとしたらそれは具体的にどのような領域において、どのような経緯のもとにつながっているのかを、2本の調査報告と現場報告をまじえて浮き彫りにし、課題認識の共有と今後の対策について考えていく。

 

■調査報告①
「学校における専門スタッフ等の活用に関する調査結果報告書」(総務省・20年5月15日)

 

□内容
 本報告で扱う「調査結果報告書」は総務省が実施したもので、2015年12月の「チーム学校」と19年1月の「学校における働き方改革」の中教審2答申において「専門スタッフ等」の活用が謳われながらもその課題等が明らかにされていない、との認識から、「教育活動の充実及び教員の負担軽減の観点から、専門スタッフ等の活用状況等を調査し、関係行政の改善に資するため」実施された。調査対象となったのは17県教委・32市教委・145公立校(小64・中64・高17)・8私立中である。
 この報告書には「学校の事務職員の活用状況」の項があり、様々な事例が掲載されている。全学労連事務局ではこれらの事例の基となった、調査対象機関からの回答に係る資料について、総務省に対し情報開示請求を行った。これにあたっては各々の調査対象機関=自治体名の開示も求めていたが、結果としてその点は非開示とされた。
(主に「今後の調査において、調査対象期間が調査への協力を躊躇し、調査に係る実態把握や調査対象機関の協力を得ることが困難となるなど、調査事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれ」)
 しかしながら開示資料自体は、報告書には表れてこない生の実態が垣間見えるものであった。ここでは「教員の負担軽減」をキーワードに、共同実施・共同学校事務室と事務職員の業務負担に因果関係をおいた記述を抜粋して紹介する。


□事例1:「調査結果報告書」P76~ 図表3-(4)-③の1項目 

〇基資料には以下の記載があった。

同教委によると、この取組≪注:学校間連携≫で教員が従来担当していた学校徴収金の業務を口座振替に移行し、教員の業務負担軽減につながったと説明している。また、同委員会が平成29年10月に■■■内の51校すべての小・中学校にアンケート調査を行った結果、全体の75%(38校、現金徴収の併用を含む)が口座振替で学校徴収金を徴収することが可能となり、口座振替で徴収している学校の17校(45%)で教員が事務負担軽減されたと回答している。

〇しかしながら、上記アンケート調査においては「現金徴収の場合と事務量は変わらない」としたのが1校、「増えた」が2校あったほか、実に18校(47%)が「その他」を選択しており、欄外の「(注)」として「その他には、教員の負担軽減になったが、事務職員の負担軽減にはなっていない等の意見」とある。

 

□事例2:「調査結果報告書」P76~ 図表3-(4)-③の2項目

〇基資料には以下の記載があった。

従来教員が担当していたIT機器の管理部業務、従来教頭が担当していた就学援助業務や外部人材の給与業務をグループで処理することができるようになり、教頭や教員の負担軽減につながっている

〇ただし、この報告を上げた総務省出先機関が同じく調査した別の教育委員会は、共同実施については事務職員が週に何度か自校を離れることでその間の業務を教頭・教員が行わなければならず負担増につながる恐れがあること、共同学校事務室についてはメリットがよくわからない一方で設置には時間と費用がかかることを理由に挙げ、いずれも行っていないとしている。

 

□事例3:「調査結果報告書」P76~ 図表3-(4)-③の3項目

〇基資料には以下の記載があった。

平成17年度から隔年で「校務分掌にかかる調査」を実施している。同調査結果によると、次表のとおり、事務職員が当該事務を担当している学校数の回答学校数に対する割合は、いずれの事務についても徐々に増加している。このことから、各学校の事務職員が担当する事務の数が次第に増えていることがうかがわれる。

調査結果について、事務支援グループ統括グループ長≪注:■■■立■■中学校事務職員/正確な役名は「統括事務支援グループ長」≫は次のように述べている。

「事務の共同実施は、教員の負担軽減を目的の一つとして推進してきている。≪中略:共同実施で効率化を図り生み出された時間・余力で教員が担ってきた業務を事務職員が担当、との旨≫。しかし、近年は、若い事務職員の割合が増えてきたことにより、担当する事務の数の増加は頭打ちになっている。」

〇2005年から17年にかけて、例えば「児童生徒の学籍管理」23.4%→100%、「予算要求関係事務」38.3%→100%、「施設修繕の整備改革に関する事務」19.1%→100%、「学校だよりに関する事務」0%→52.1%、「学校徴収金(教材費)の集金に関する事務」23.4%→100%。
〇他方で、11年から17年にかけてパーセントが下落している職務もある。例えば「企画・運営委員会参画」72.3%→66.7%、「校外活動等の渉外事務」27.7%→18.8%、「PTA・後援団体諸会費の集金に関する事務」100%→81.3%など。

 

□事例4:「調査結果報告書」非掲載事項①

〇基資料には以下の記載があった。(同一自治体)

≪前略:「つかさどる」改正に伴う事務機能強化・拡大は実施していないとしたうえで≫同教委は、平成20年度に始まった学校事務の共同実施以降、臨時職員の内申や教科書に関する事務等従来は教員が行っていたいろいろな事務を事務職員が行うようになっており、原則各校に1名である事務職員も多忙になっている――≪■■■教委≫

事務の共同実施の開始以降、事務職員が共同実施グループで研修、勉強し、学校において責任者として位置付けることを希望し、学籍(児童の転出入)に関する事務や教科書に関する事務(発注から各教室への配布)など、それまで教員が行っていた事務を事務職員が行うようになったものがあり、また、新規採用者の教育も共同実施グループの中で、先輩から教えてもらうこと等により行われていることから、校長や教頭が指導等することは少なくなっている――≪■■■立■■小学校≫

〇なお、同自治体の調査対象2小学校では、教務担当下にある教科書と渉外担当下にあるPTA会計が、事務職員の分掌業務とされているということである。

 

□事例5:「調査結果報告書」非掲載事項②
〇基資料には以下の記載があった。(県教委・市教委)

「■■■公立小中学校事務の共同実施モデル」を策定した。当該モデルでは、学校事務の共同実施において求める効果として、ⅰ)教員が行っている事務処理の負担軽減、ⅱ)学校事務の適正化及び効率化、ⅲ)事務職員の資質向上としており、学校事務の共同実施で教員の負担軽減を図る業務をⅰ)学校徴収金(給食費等)に係る事務、ⅱ)児童生徒の学籍関係に係る事務、ⅲ)学校行事、総合学習等の教育活動への支援に係る業務、ⅳ)調査及び統計に係る事務、ⅴ)教科用図書に係る事務とされた

■■■立■■小学校と■中学校において、学校事務の共同実施による効果等を聴取した結果、「学校徴収金に係る事務は、従来、各学級の教員が行っていたが、現在は口座振替に移行し、事務職員が全生徒を担当することになり教員の負担が軽減された。また、これ以外に教員が担当していた会議の受付等の業務も事務職員に担当してもらうなど、学校事務の共同実施の取組により学校事務処理の効率化が図られ、教員の負担軽減にもつながった。」としている。 

なお■■■教委≪注:県市どちらかは不明≫では、「学校事務の共同実施による定量的な効果までは把握していないものの、多くの学校から教員の負担軽減につながったと聞いている。」と説明している。

〇教員の負担軽減の材料は雄弁に記されているが、「学校事務の共同実施の取組により学校事務処理の効率化が図られ」た具体例はかろうじて「帳簿の相互チェック、新任の事務職員の支援等」の文言が確認できたのみであった。

 

□総括
 政府機関による「事務職員の活用状況」という調査であることから、張り切っていかに(私たちから見れば)事務職員をこき使っているか明け透けに表現・報告している自治体も少なくない。その中でも教員の負担軽減並びに共同実施・共同学校事務室との関連を明記している例を、以上挙げてみた。
 教員の負担軽減=事務職員への業務転嫁が、共同実施・共同学校事務室の目的ないしは成果として重要な位置を占めている実態が克明だ。特に事例5においては、「求める効果」の第一に、事務の適正化効率化でも資質向上でもなくまず教員の負担軽減が位置づけられている。
 一方で具体的なところに踏み込むと、必ずしもうまくいかない実態もあるようだ。同一地域であっても自治体間の温度差があったり、「効果」だけ取り上げればうまくいっているように見えても逆の見解や頭打ちが見えてきていたり、その「効果」も定量的なものでなかったり、と。
 また基資料全体を見ると、共同実施・共同学校事務室に対して否定的な意見も学校現場や教育委員会から少なからず挙げられている。特に事務職員が勤務校を離れることで、所属校の事務の停滞につながる、との警戒感は強い。

 

■調査報告②
「令和3年11月期調査結果」(全事研・22年2月7日)

 

□内容
 本報告で扱う「調査結果」は、全事研が各地・各会員の実態把握や調査研究資料とするためとして、会員に向けて実施した調査の結果をまとめたものである。
 特にここで分析の対象とした個人単位調査は、都道府県により回答数に大きな差があり、愛知710・千葉682・新潟573と3県が500を超える一方で、宮城0・大分0・北海道1・大阪4・京都9と5道府県は一桁にとどまっている。
 都道府県単位の支部を経由した調査であり実際の調査配布先も支部ごとに対応がまちまちであること、支部内においても地区ごとに温度差が大きいこと、支部もしくは地区段階では誰がどういう回答をしたか役員が把握できる形態で行われていること、等々が推測されるため、実態反映の正確性についてある程度差し引く必要はあると考える。
 そうしたバラツキは承知の上で、それでも職域内ではおそらく最多回答数に基づく調査結果であることから、共同実施・共同学校事務室の導入状況と事務職員の業務負担多寡の関連が見出されるかどうか、数値的に分析してみた。

 

□分析:「共同学校事務室」の回答比率高位県・下位県における職務担当比率の比較
〇調査結果中「No.2 事務職員の職務等実態調査結果」より、「令和2年度7月の文部科学省通知内『事務職員の標準的な職務の内容及びその例』に示された職務のうち現在担っているもの」「令和2年度7月の文部科学省通知内『他の教職員との適切な業務の連携・分担の下、その専門性を生かして、事務職員が積極的に参画する職務の内容及びその例』に示された以下の職務のうち、現在担っているもの」のふたつの選択式設問において、「共同学校事務室の運営、事務職員の人材育成に関すること」(「標準的な職務」の1設問)の回答比率が40%以上の7県並びに20%未満の5県(いずれも回答数100以上の県のみ)について、他の職務担当の回答比率を抜粋し、平均値を算出。両グループの平均差を導いた。なお、全体における「共同学校事務室の運営、事務職員の人材育成に関すること」の回答比率は32.4%である。
〇個々の回答者の担当職務状況とリンクした形で共同実施・共同学校事務室の設置状況を計る手段として、「共同学校事務室の運営、事務職員の人材育成に関すること」を担っている比率でグループを分けた。ただ、これがすなわち共同実施・共同学校事務室の設置状況を意味するものではないことには注意。共同実施地区はこれに非該当と回答するかもしれないし、共同学校事務室が設置されていても運営にあたっていない人は非該当と回答する可能性が高い。逆に共同実施・共同学校事務室ともに設置がなくとも後段の事務職員の人材育成にあたっているとして該当と回答する人もいる可能性がある。
〇グループ間の平均差を見ると、「標準的」「積極的」のいずれにおいても「40%以上」が「20%未満」を上回った。しかし、その差がどこまで有意なものかは判断しがたいところである。
〇「標準的」よりも「積極的」の方が差がより大きいことは、ひとつの特徴といえよう。
〇職務内容ごとにグループ間の平均差をみると、10ポイント以上の差が生じているものも目に付く。ただし細かく見ると、特定の県が押し上げないし押し下げている例が少なくない。
〇なお、文科省通知「標準的職務」には「学校徴収金」が明記されていたが、選択肢には存在しなかった。文科省通知に掲載された職務で、選択肢になかったのはこれのみ。理由は不明。

 

□総括
 もとより、共同実施・共同学校事務室の導入・非導入は必ずしも都道府県単位で同一ではない。加えて共同実施・共同学校事務室の設置状況を計る手段として採用した(せざるを得なかった)「共同学校事務室の運営、事務職員の人材育成に関すること」は、回答者によって自認の幅が広く、手段としての精度がかなり低かったのではないかと思料される。
 共同実施・共同学校事務室の導入状況と事務職員の業務負担多寡の関連が見出されるかどうかという調査目的について、本調査分析で何らかの断定はできない。ただ、県ごとの職務担当状況の一端を示すデータとしてはなお貴重であり、別のデータを突き合わせる等、引き続き分析する意義はあると考える。

 

■事例報告
 テーマ課題について、参加者の地元における現場実態を報告していただく。

 

■質問・意見・他にも事例報告

 

■関係整理と課題提起
中教審2答申(のちに政策化)が語る共同実施の目的
〇「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について」(中教審・15年12月21日)
3.「チームとしての学校」を実現するための具体的な改善方策
―(2)学校のマネジメント機能の強化 ― ③事務体制の強化 - エ 事務の共同実施の推進 (P54)

共同実施については,事務処理における質の向上やミス・不正の防止,学校間の標準化による事務処理の効率化等において大きな成果が見られるところであるが,この他にも,教員の事務負担の軽減や事務職員の学校運営への支援・参画の拡大等においても成果が見られるところであり,今後の取組の一層の充実が期待される。
特に,「チームとしての学校」を進めていくためには,共同実施を行い,学校の事務を効率化し,事務職員が副校長・教頭等の補佐を行うことにより,副校長・教頭等が,人材育成や専門スタッフの調整等の業務に,より注力できるようにしていくことが重要である。
また,共同実施組織は,先輩から後輩への指導,事務職員の連携・協働の場として機能することによって,人材育成の場としての効果が期待できる。さらに,共同実施組織に,共同実施組織の業務の取りまとめを行う長を置くことは,事務職員の将来のキャリア形成の観点からも有効であると考えられる。
あわせて,学校間の連携を推進していく観点からも,事務の共同実施の在り方について検討を進めることが重要である。

 

〇「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について」(中教審・19年1月25日)
第5章 学校の組織運営体制の在り方
― 2.目指すべき学校の組織運営体制の在り方(P41~)

○各学校は,法令等を踏まえ,学習指導,生徒指導,学校運営等に関する委員会等の≪以下略≫
○教師個人に細分化して割り振る校務分掌の在り方を見直し,例えば,教務部と研究部≪以下略≫
○特に長時間勤務の傾向がある若手教師については,学校組織全体の中で支えていくこ≪以下略≫
○学校における働き方改革の推進に当たっては,事務職員の校務運営への参画を一層拡大することが必要である。事務職員は,その学校運営事務に関する専門性を生かしつつ,より広い視点に立って,学校運営について副校長・教頭とともに校長を補佐する役割を果たすことが期待されている。文部科学省教育委員会は,権限と責任をもった事務長をはじめとした事務職員の配置の充実を図るとともに,庶務事務システムの導入や共同学校事務室の設置・活用などを推進し,事務職員の質の向上や学校事務の適正化と効率的な処理,事務機能の強化を更に進めるべきである。文部科学省は,事務職員が校務運営に参画することで,副校長・教頭を含め教師の業務負担が軽減された好事例・成果を収集・横展開するとともに,標準的な職務内容を具体的に明示していく必要がある。
また,その際,学校に配属される事務職員の人材の確保と採用後の職能成長について,任命権者である各教育委員会がしっかりと見通しと戦略をもって,望ましい採用やキャリアパスの在り方を検討することが求められる。
○「チームとしての学校」体制を踏まえた学校組織マネジメントの中心は,校長である。≪以下略≫
○「チームとしての学校」の実現に向け,多様な主体との連携や必要な人材の確保が必≪以下略≫

 

□ここまでを踏まえて…

〇調査報告①で見てきたような教育委員会あるいは学校現場の姿勢と、上記のような国全体の方向性との一致。教員政策ありき、教員優先のもとで組み立てられる学校事務政策。
〇調査報告①②で浮き彫りになった、とりわけ事務職員への転嫁が進められている業務――学校徴収金、学籍転出入、教科書給与――、それらの業務が転嫁の対象となることの意味は何か。
○「教員優先」の発想は、しかし上から導入されたものだろうか。また、今になって始まったものだろうか。教員は忙しいから事務職員がやっとけ、事務職員のしんどさは事務職員間で何とかしろ。そんな構造を制度化したのが共同実施・共同学校事務室なのではないだろうか。
○制度化された事務職員同士の関係において生み出される、新たな権威・従属・衝突。
○何より、「どのような働き方が働きやすい労働条件であるか」という根幹が大切。

学校事務職員が「愚痴れる場所」の尊さ

3月末の予算締めと次年度準備からはじまる学校事務職員の繁忙期は、4月を一気に駆け抜けて、だいたいの場合世に言う「大型連休」の合間の平日にも喰い付いたうえで、5月3日~5日の祝日にからむ最低4連休あたりでクラッシュしてひと段落つく。

ところは違えど、大まかにはそういう感じではないでしょうか。

 

私の場合は4月末~5月冒頭に、学校配当予算の費目配分や大口購入物品を確認・決定する「予算委員会」を置くのが通例で。

もちろんそれはそれでひとつの仕事の節目にはなるのだけれど、それが終われば今度はその決定に基づく起案・契約・受入・支出事務が山をなし、それに立ち向かうことになるわけで、現実に一息つくのは5月終わりごろでしょうか。

今は昔と違って様々な職種の職員が学校で働いていて、必ずしも皆が皆4月1日によーいドンで働き始めるわけでもなくて。

人を助ける文明の利器であるはずの庶務事務システムは、それの都合に合わせてかえって人がなす諸手続きの締切を早めもし、あるいはシステム障害でかえって手を煩わせてくれて。

 

なんだか昔よりもくたびれます。

 

さて。なんだか愚痴っぽい言い方をしましたが、今日はそういうお話です。

 

私は労働組合の役員という立場で発信実践を行っています。

これはこれでなかなか難しいもので、労働条件に関する不満をあまりにも愚痴っぽく発信していては「なーんだ労働組合なんてやっぱり役に立たないんじゃん」と誤解されてしまうおそれもあります。

一方で、私が役員であろうがなんだろうが私の不満や愚痴がただちに労働組合の取り組み課題になるわけはありません。労働組合が組合として取り組むということは、組合員の中のある程度以上が課題意識を共有し、獲得目標を明確にして、集団として取り組むという意思決定があって初めて成り立つことです。

労働組合の役割にかんがみて当然の意思決定……例えば労働条件の明らかな切下げや組合員への不当な取り扱い……は、その結成目的に照らして自然的に意思決定が形成されたこととなるでしょう。獲得目標も「撤回」「謝罪」と明確です。

 

しかし不満や愚痴というのは、もう少しあいまいでもう少し広いものです。

「広い」。そう、概念としてもう少し広いわけです。「豊か」と言い換えても良いかもしれません。

 

ただちに何かを形成する段階にはありませんが、他方で広く豊かな可能性がはらまれているとも言えると思うのです。

それで思うのです。

学校事務職員が気おくれやはったりやごまかしを持つことなく、「愚痴」を言える場はどこだろう、と。

 

職種が違うとなかなかわかりあえないことがあって、それは実際の職務が違う以上前提知識・認識が違うのだから当たり前。となるとやはり、学校事務職員同士になるでしょう。

しかし職務上において学校事務職員同士で集まる場、すなわち共同実施・共同学校事務室や事務研究会が、そういう場になっているとは思えません。

職務上集まる以上仕方ないとも言えますが、上位級に位置しその結果ある種「体制の手先」となっている職員もいる場において、職場や制度の不満や愚痴をうかつに口にして、にこやかに受け止めてもらえると思えるでしょうか。

こうした場では、毎回持ち回りで簡単な発表をさせるとか毎回全員1回以上発言させるとかそういうこともあるようですが、物言えば唇寒しの地の空気の反映とも言えましょう。研究大会での質問・意見の低調っぷりも印象的です。

 

職員組合はどうでしょう。残念ながらそちらもそういう場になっているとは言えないようです。

少なくとも川教組(日教組)は「事務の組織化」と称する学校事務職員の階層化を推進しており、そのせいか職務上の職層と組合内の発言力が比例するようです。

「昇級した者が組合でも偉い」と「組合で偉い者が昇級する」のニワタマ構造。組合内に偉いも偉くないも本来ないはずなのですがね。そんな状況なので「執行部がおかしいと思っても、反論されるのが怖くて意見できない」と、何人もの川教組組合員から聞かされています。

 

学校予算が足りないとか、なのに教員が無駄遣いするとか、教育委員会の書類提出締切が早いとか、なのに教員が全然書類出そうとしてこないとか、そうした事柄に校長教頭は全く無関心で丸投げしてきっぱなしとか、それでいて人事評価面談ではそんな管理職から「何やってるかよくわかんない」とか言われてテキトーな評価しかつけられないとか。

 

どんな仕事でもそうなのでしょうが、学校事務職員だって仕事の愚痴のネタは絶えません。

それを安心して吐ける場所。

それは実はとても「広い」「豊か」な場所なのだと思うのです。

なにしろそこがあるから私たちは、自分の本心を捨てないでいられるのです。

愚痴を愚痴として吐く場所さえなければ、諦めとともに自己を大勢に合わせることとなるでしょう。

しかし、安心して愚痴れる場所があることで、自己を曲げないでいられるのです。

 

もちろん、労働組合の役割は愚痴を愚痴として終わらせないことにあります。

しかし、広く豊かな愚痴の泳ぐ海に向けて、上から「解決しよう」と叫んでも届きません。

まずともに泳ぐこと、そうして理解すること、なによりその海の自由を守ること。

そうして、個々の真の内心をそのままに持てる仕事であり続けたいのです。

 

大型連休。Twitterの方でスペース機能を使い多くの方と交流させていただきました。

不義理もしました(ごめんなさい)

でもいろいろな方と交流して、上のようなことを強く強く思ったのでした。

地方選挙と川崎市の議員と統一協会(統一教会)と…議員が社会問題に向き合うありようについて

統一地方選挙が近づいています。

 

私の暮らす川崎市でも市議会議員選挙が行われます。

これに向けて、候補者の方々の駅頭宣伝も毎日のようにお見掛けします。

 

国政の大物政治家と異なり、多くはたったひとりで、地声で政策を訴えつつあるいは挨拶の声をかけつつビラを手渡しています。

私も活動柄、不特定多数に向けた宣伝活動を行ったことはありますが、肉体的にも精神的にもなかなかしんどいものです。不愉快な思いをすることもあります。

またそれ以前に、よくよく聞けば宣伝活動の場所取りもなかなか熾烈なものだそうで。早い者勝ちだから朝の4時5時には活動を始めているのだといいます。とりわけ、特別な支援母体のない個人の新人候補は、そこからして自身でやらねばなりません。本当に大変なものです。

そうしたことも知る中で、政治的立場・見解に対する一致・不一致はもちろんありつつも、候補者の方々のその尽力には斉しく敬意を持ちたいと思うところです。

 

一方で、敬意を持つことと政治的社会的立場や行動に対して批判することは矛盾しません。

今回の選挙に向けては、とりわけ統一協会(※)との関係は重要な判断材料となるべきものだと考えます。

世界基督教統一神霊協会、現・世界平和統一家庭連合。なお、広く一般では略称について「統一教会」と記述されていますが、キリスト教僭称破壊的カルト集団であると認識する立場から私は「統一協会」の記述を用いています。

 

統一協会に対しては十数年前の学生時代に、所属大学の学内への浸透が狙われた中で批判論陣を張った過去があります。

関わりを持ってしまいしかし脱退を望んだ学生の相談に対応し、無事脱退に至るお手伝いもしました。(彼とは今もお付き合いがあります)

当然、それにあたり一通りの批判根拠を持ちましたし、それは今も変わりません。

 

私の世代では下火でしたが、その少し上の世代以上にとってみれば霊感商法合同結婚式といった形で盛んに報道もされ有名な存在であったはずです。

少なくとも40代半ば以上の政治に関わる者が「知りませんでした」は通用しない、あるいは不勉強である、と感じています。いずれであるにしても、政治家としては適格性を欠くものと私は捉えざるを得ません。

 

さて、神奈川新聞が神奈川県議会議員と横浜・川崎・相模原の市議会議員を対象に、統一協会との関係を尋ねるアンケートを実施。2月28日の同紙でその結果が報道されました。

www.kanaloco.jp

こういう調査・報道は全国紙ではなかなか行き届かないもので、地方紙のありがたさを感じます。

 

さて、この中で接点を認めた議員について。

 

川崎市選出県議会議員では中原区の川本学氏(自民党

川崎市議では川崎区の山田瑛理氏、幸区の野田雅之氏、中原区の原典之氏・松原成文氏・吉沢直美氏、多摩区の各務雅彦氏、麻生区の山崎直史氏(いずれも自民党

 

といった面々でした。

 

このほか、県議で川崎区の田中徳一郎氏(自民党)、川崎市議で幸区の加藤孝明氏、中原区の末永直氏、高津区の斎藤伸志氏(いずれも自民党)は、アンケートに回答自体しませんでした。

 

これに先立ち昨年11月には、市民団体が川崎市選出県議と市議会議員に統一協会との関係を問うアンケートの結果を公表・報道されています。

www.tokyo-np.co.jp

神奈川新聞が実施したものとは設問が異なるので回答に差異が生じるのは当然ですが、ここでは上記のうち2人(山田氏・松原氏)が関係を認めています。

着目したいのは回答しなかった議員の方。

県議の田中徳一郎氏、市議の末永直氏、斎藤伸志氏はここでも回答していません。

 

無回答である以上、その意味は推し量るほかありません。

市民団体のアンケートはまだしも(といったら大変失礼ですが)県紙のアンケートにも沈黙を貫く以上、いかなる憶測をされてもやむを得ない、そのリスクを引き受けてでも回答できない事実がある、と、私は解釈せざるを得ません。

 

さて。

中でも中原区自民党への統一教会の浸透度は目を見張るものがあります。

県議の川本学氏、そして市議の4人中3人が関係を認め、残る1人は回答しない、という結果となりました。

その、無回答の末永直氏は実は、統一教会問題を追い続けたジャーナリスト・鈴木エイト氏の著書「自民党統一教会汚染 追跡3000日」(小学館)に登場します。

 

www.shogakukan.co.jp

統一協会が青年部と政治家を引き合わせる会合の情報をつかんだ鈴木氏が、会場に取材に行きます。そこでのやり取りが以下。

 

関係者による取材妨害を受けながらも20名ほどの議員らしき人物を捉えることができた。その中に、面識のある男性がいた。自民党の末永直川崎市議会議員だ。まとわりつく関係者を振り払い末永議員に話しかけた。

「これ統一教会関係ですが大丈夫ですか?」

「付き合いがあって」

「直接、誘いや招待が?」

「そうですね」

付き合いのある議員が招待されているようだ。

 

これによれば、末永直川崎市議は統一協会関係だとわかっていながら、日頃の付き合いから承知の上で会合に参加するほどの関係であるということになります。

 「義務でもないアンケートに回答しなかったことをもってあれこれ憶測するのは不見識ではないか」とのご意見もあると思いますし、場合によっては一理あるとも思います。

しかし、末永氏のこうしたありようを踏まえ、そのうえで本件の「無回答」の意味を憶測するのは不見識ではないと考えます。

 

それにしても、中原区自民党の「統一教会汚染」ぶりは何が原因なのでしょう。

もともと川崎に縁を持たない私は、過去にさかのぼっての川崎の政治状況を承知していません。もしかすると、もともと統一協会と縁の深い大物議員がいたのかもしれません。

国会議員ルートも考えられます。

中原区衆議院の選挙区としては、昨秋の区割り変更前は神奈川10区(他川崎区・幸区)と神奈川18区(他高津区と宮前区一部)に分かれていました。

18区選出は、統一協会とのあまりに濃密な関係の数々が明らかになり、不安定な説明も相まって経済再生担当大臣を辞任した山際大志郎氏。

そして10区選出の田中和徳氏も、川崎駅で自身の名刺とともに統一協会機関紙「世界日報」を配布した人物です。

(なお、アンケートに回答しなかった県議の田中徳一郎氏は田中和徳氏のご子息です)

 

真相はわかりませんがいずれにしても、中原区自民党は国・県・市のすべての層において、統一協会と関係を持った経過のある人物が議員を務めている、ということは事実として整理・認識することとしたところです。

 

一方で。

昨秋の市民団体アンケートで関係を明らかにし、報道機関の取材にも応じている松原成文市議の対応やそこでの言葉は、真摯なものと映ります。

www.tokyo-np.co.jp

 

統一協会との関係をどう評価するか。それは有権者それぞれで異なるのでしょうし、それは当然のことだとも思います。

私は重視しますが、しない方もいらっしゃるでしょう。

ただ、思うのです。

今回、「統一協会との関係」で定点観測をした結果、関係の如何だけでなく、変えられない過去に対してどう向き合うかも浮き彫りになったと思います。

統一協会問題を重視しないとしても、それへの対応のありようは、その議員が社会問題に対してどれほど真摯に向き合うかのリトマス紙として斉しく重視できることなのではないでしょうか。

教員の負担軽減のために事務職員が仕事を引き受ける、のではなく、学校業務全体の負担軽減を目指すことが大切

昨年12月、文科省は「令和3年度公立学校教職員の人事行政状況調査について」を公表しました。

調査結果概要の中で、教員の精神疾患による病気休職者数は5,897人と前年度から694人増加し、過去最多にのぼったとしています。

報道各社もこの結果を大きく報じ、朝日新聞は翌1月に「教員の精神疾患 実質的な働き方改革を」とする社説も掲載するなど、反響を呼んでいます。


現に学校現場で働いている学校事務職員の立場からしても、教員のそうした状況はもはや身近なものです。

過重労働や長時間労働精神疾患につながることは疑いのないところ。精神疾患による病気休職者の増加、そして休職を飛び越して退職に至る教員もいる中、そうした状況を生み出す要因となっている学校の労働環境の改善が、急務であることは疑いありません。

 

しかしながら、「教員の負担軽減」「教員が子どもと向き合う時間の確保」といった言葉のもと、教員が担ってきた業務を学校事務職員に代替させ、その負担を転嫁する動きが広がっていることは大間違いだし大問題です。

教員の負担軽減は、教職員基礎定数の改善をはじめとした人員増と学校業務そのものの縮減により解決すべきであり、学校内で別の職種に転嫁して解決すべきものでは断じてないはずです。

 

そもそも、今現在でも学校事務職員の労働環境は良好なものとは到底言えません。

先の「人事行政状況調査」によれば、精神疾患による病気休職者が全体に占める割合は、教員が0.64%のところ学校事務職員は0.95%と教員より高いポイントとなっている。事務職員のポイントが教員を上回る状況は、両職種について調査が行われた2012年度以降一貫しており、しかも14年度以降その差は拡大の一途を辿っています。

16年度以降調査が行われている、休職者に加えて1か月以上の病気休暇取得者を加えた場合の割合についても同様に、事務職員のポイントが教員を上回りかつその差は拡大しています。

(※ただし19・20年度は事務職員分の調査は行われていない)


これを踏まえれば、事務職員の負担軽減も教員のそれと同様に急務であり、「実質的な働き方改革」が求められるべき状況にある、と言えます。

 

しかし事態は逆を行っています。

「必ずしも教師が担う必要のない業務」の受け皿に事務職員を名指しし、「学校以外が担うべき業務」とされた学校徴収金業務さえ学校事務職員の標準職務に盛り込み、さらには「校務運営への参画」の言葉のもと教育活動以外のありとあらゆる業務を事務職員に押し付けようとする文科省

現場を顧みることなく文科省の「働き方改革」に乗っかる教育委員会

そうした文科省・教委を批判するどころか肯定的に受け止めたうえで「主体的・積極的に学校事務をつかさどる」「自分たちから率先して学校運営に参画」などとその真の意図を糊塗隠蔽し、事務職員への業務転嫁=業務負担増を事務職員の内部から推進する日教組

同様の立場から「状況の変化、そして事務職員に対する様々な期待に対し、全国の事務職員が一丸となってより良い学校づくりに貢献していきたい」などと事務職員全体を巻き込む全事研。

こうした中央・地方・御用組合・職能団体の結託の結果が、教員より深刻な休職状況というファクトを抱える事務職員に対して、にもかかわらずさらなる負荷をかけようとする政策の進行です

 

かねて指摘していますが、「学校における働き方改革」や「標準職務」通知にあたり、事務職員の職務実態は顧みられていません。そのうえで、教員に過重に乗っている負担をただ事務職員に乗せ換えようとしているだけの話しかしていないのです。事務職員がそれに耐えられるかどうかは考えることもなく。

 

精神疾患による病気休職者の割合における事務職員と教員の差が、14年度以降拡大し続けたことは先述しました。これは教員の割合が基本的に横這いで推移してきたのに対して、事務職員のそれは同年度以降上昇し続けてきたためです。

その14年度といえば「チーム学校」の名のもと、教員が教育活動に専念できる環境をつくるため事務職員を「活用」する…要するに教員が担っている業務を事務職員に転嫁する方向性が打ち出された年にあたります。

以来、表看板は「チーム学校」から「働き方改革」に架け替えられつつもその方向性はますます強められてきた。17年の「つかさどる」学教法改正や20年の「標準職務」通知もこれに連なるものです。

日教組や全事研は一連の動きを基本的に歓迎して遇してきました。のみならず組合員・会員に、これに沿った意識改革や業務負担受け入れを指導する態度を取り続けてきました。彼ら彼女らこそ多くの学校事務職員を休職に追い込む状況を作り出した、共犯者ではないでしょうか。

自治労の学校事務組合も同様のようです。最近知ったところ。

n-gakujiso.com

“「学校事務をつかさどる」ため、「職位別標準的職務表」の活用・定着を進める”

と謳っています。

私には到底理解しかねます。

「職位別」なんて、まさに使用者側による労働者分断・差別の道具だと思うし、「こういう職位だからこういう仕事も請け負え」という労働強化の論理でもあると思うのですが。


今般の学校現場、そこで働くすべての教職員にとって必要なのは学校業務全体の負担軽減であって、学校事務職員の献身や犠牲ではありません。

学校事務職員は、「参画」とか「期待」なんて表面的な言葉に喜んでいる場合ではありません。

事務職員への業務転嫁、事務職員による業務引き受け、そんなことはもうやめるべきだと、高らかに叫びたいのです。