事務室の鍾声~学校事務職員の発信実践

伊藤拓也 全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)・川崎支部で学校事務労働運動に参加 川崎市立学校事務職員 Twitter→@it_zgrr

「ブラック企業」「ブラック部活動」「ブラック校則」…黒って悪いことですか?

全労協新聞2020年9月号巻頭の渡邉洋全労協議長執筆「『ブラック』表現の是非 差別される者に寄り添う議論を」は、たいへん重要な提起だった。

 

提起では、労働者を使い捨てる悪徳企業を「ブラック企業」と呼ぶことが定着し、人権を無視した労働環境・企業体質を社会問題としてクローズアップさせてきたこと、その言葉が市民権を得ることで、誰もが勤め先の劣悪な労働条件として言い表すことが出来るようになったことは意味があったとしている。

ただ、「ブラック」=「悪いこと」とする表現については、かねてからアフリカ系の人々から違和感が表明されてきたとする。英語の語感では「黒人による黒人のための事業」という意味で受け取られるが、そこに悪質、違法といった意味が乗せられる使い方に苦痛を感じていると指摘している。そして労働組合として、その言葉で傷ついている人がいることを知ること、傷の深さに思いを寄せること、差別の実態を学び理解を深めた上で、他に良い表現は見つからないか考えることが大切だと訴えている。

 

ブラック企業」を筆頭に、劣悪な労働環境のみならず組織や運営における人権無視のあり方に対して「ブラック」の語をかぶせる表現はどんどん増えているように感じる。

「ブラック職場」「ブラックバイト」「ブラック部活動」「ブラック残業」「ブラック校則」……等々。

また、これらとは逆の環境や状況に対しては「ホワイト」の語をかぶせるのも、一般的になっている。

ただ、そうした用法に対する問題の指摘は、渡邉議長提起でも述べられているようにかねてから出されていたものだ。

 

私は元来、この「ブラック」という用法をあまり好んでいなかった。ふんわりとしたこの表現は、個々の現場のそこにある問題点を突きつけえぐり出すには具体性を欠き、かえってその問題性を曖昧にしかねないと感じた。

また、明確な違法行為・違法状態をもカジュアルに表現してしまうことは、かえって企業犯罪の免責につながるのではないかとも思っていた。

あと他にも理由があるのだけど……それはまあここではいい。そんなわけで使うこともしていなかった。

 

そんな私がさらに決定的にこの用法に対して否定的になったきっかけは、Twitterでこのツイートを見たことによる。

 


河添 誠 KAWAZOE Makoto @BLM on Twitter: "カナダのトロントで開かれたレストラン労働者の権利向上の国際会議で、日本の労働状況を話した時に「ブラック企業大賞」を私が紹介。移民の活動家から「いい運動だけど、ブラックじゃなくてホワイトだよね」と皮肉をこめて指摘された。アメリカなどでは、「ブラック」を否定的に使うことは許されない。"

 

これを「外国のことだろう」とは断じて言えないと考える。日本国内にも様々なルーツの人々が暮らしており、そして人種差別・民族差別が存在する。この問題はそれと地続きだと思う。

そもそも人権や差別に対する理解を深める必要性は、海を越えて全世界共通だろう。

 

ところで、働き方改革を中心とした学校問題をめぐって人権擁護の立場から積極的な発言・発信をしている論者のなかにも、この表現を多用する方がいるのはたいへん気にかかる。

 

現状、多くの人にとって意識したことのない指摘だと思うが、それが全労協の機関紙トップで提起されたことはたいへん意義深いと思う。手にして嬉しくなった。

「ブラック」の用法について、社会的に考え直される契機になれば良いな、と思う。