前回記事の投稿以降、体調不良があったり締切が迫る雑誌原稿執筆があったりで、ブログの更新ができなかった。
実際、雑誌原稿は締切を1日過ぎてしまったので、変な話その間にむやみにブログばかり更新してたら不義理が過ぎる。
更新してなくてよかった。
いや、それより締切破りスミマセン。
編集部の方読んでるかわかりませんが。
「書く」という行為は責任を帯びる。そんな「書く」という行為に当たっては、もともと持っている知識・情報のみならず、いろいろ調べたり勉強したりする必要が出てくる。根拠曖昧なまま内心で「こうだ」と思っていることでも、書いて人に見せる以上は裏取りが必要になるし、それを通して新たな発見を得たりする。
そんなこんなで書いていたら、4千数百字の原稿指定のところ7千字近くになってしまい、必死に調べて文字化したかなりの部分を削らざるを得なくなった。ぴえん。いつか何かに使ってやるー。
そんな間に来年度予算の概算要求が発表された。原稿にも関係していたのである程度目を通したので、着目点は今後書いていきたい。今日は許して。
2020年10月2日東京新聞朝刊12版。
1面トップに、日本学術会議の会員選出にあたり、菅首相が会議の推薦した候補のうち6人の任命を拒否との記事。日本学術会議法は「同会議の推薦に基づき、総理大臣が任命する」と規定しているが、これまで任命拒否の例はなかった。任命拒否の理由説明もなし。
今日、菅首相は記者の質問に対し歩きながら「法に基づいて適切に対応した結果」とのみ発言した。良し悪しは別にして、法律の法文は一般文通りに読むものではなく法解釈を入れつつ読むもので、菅首相の発言はこれと解離している。
Twitter上でも指摘されているがこうした法運用が通るなら、天皇が気にくわない総理大臣の任命を拒否することもできてしまう。当然それは法意にもとるのだが、菅政権はそういうことをしようとしているということだ。
菅義偉首相は大日本帝国憲法下の天皇にでもなったつもりなのだろうか。
安倍政権がそうだったし後継を自認する菅政権も同様だろうが、「我が国は法治国家」という立場を彼らは振りかざす(特に対外的に)。しかし実態は、法解釈を自己の都合にあわせてねじ曲げることも、自己の都合にあわせて法に反する行為を見逃すことも、平気で行ってきた。
正直、こういう国で公務員でいることは辛いものがある。
それでも幸い、学校事務職員はいわゆる「権力的業務」とは距離がある。批判できる。抵抗もできる。
自由に物事を考え、自由な立場をとれる。それを捨てて「出世」したいとは思わない。